横須賀ぷらから通信は「【プラ】ス1時間ここ【から】歩く」をテーマにしたお散歩メディアです。

和田義盛

ぷらり三浦一族めぐり

【三崎口】奇岩の要塞「長井城址」に行ってみよう!

現在「荒崎公園」として整備されている横須賀市長井の海辺には、三浦一族の「長井城」がありました。天然の要害となったのも納得の荒々しい景観が現在も広がります。どのあたりに長井城の面影が見いだせるのか、歩いてみました。
ぷらり三浦一族めぐり

【金沢八景】鎌倉時代の幹線道路『大道』を行く

鎌倉時代、金沢区六浦には大きな港がありました。朝比奈切通を経由して、港と鎌倉を結ぶために作られた幹線道路「大道(だいどう)」には、物流だけでなく当時の暮らしをしのべるさまざまな痕跡が残っています。
ぷらり三浦一族めぐり

【追浜】源範頼、逃亡伝説を追え!

「蒲殿」こと源範頼。源頼朝の弟であり、「鎌倉殿の13人」では良識の体現者として人望を集めています。実は、悲しいお話が追浜〜金沢区にかけて残ってもいる人物。伝承に残る蒲殿の足跡を追ってみましょう!(ネタばれ注意!)
ぷらり三浦一族めぐり

【JR衣笠】三浦一族の居城大矢部・小矢部城を探せ!

三浦一族はたくさんの城を築きましたが、詳細がわからなくなってしまっているものも少なくありません。その中から今回は大矢部城・小矢部城をご案内! どちらも衣笠城の近くにあるため、衣笠城合戦の陣屋あとを経由して巡ります。
ぷらり三浦一族めぐり

【京急久里浜】三浦水軍の要!怒田城址~佐原の里

三浦一族にとって大きな港湾の役割を果たしていた中世の平作川流域をご紹介。水辺の城だったと考えられる怒田城・佐原城と、このあたりに居を構えた佐原義連ゆかりの場所をレンタサイクルで一気に巡ります。
ぷらり三浦一族めぐり

【浦賀】多々良氏の里、鴨居~名馬池月の伝説

三浦大介義明にはたくさんの息子がいました。そのうちのひとりは多々良氏を名乗り、現在の横須賀市鴨居周辺に居を構えます。海賊退治の伝説もある多々良氏にまつわるスポットを訪ねましょう。バス移動も入れて、最後は名馬池月伝承もチェック。
ぷらり三浦一族めぐり

【三崎口】三崎港の腹ごなし史跡散歩・前編

マグロで有名な三崎港。実は中世から風光明媚な場所として知られていました。源頼朝をはじめとした鎌倉時代のお大尽が昼夜遊んだというよすがを尋ねて歩きます。和田義盛としかけ罠、三浦義明と狐など、三浦一族にまつわる伝承も。
ぷらり三浦一族めぐり

【逗子・葉山】葉山は見どころは海だけじゃない!山側をぷらり

逗子・葉山・横須賀を縦断する史跡巡りの第4弾! 今回は前田橋付近に和田義盛ゆかりの、そして葉山の長柄付近に長江景義、畠山重忠ゆかりの寺社を訪ねます。それぞれ三浦一族と愛憎ともにあり、関係の深い人々。2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」予習にもどうぞ。
ぷらり三浦一族めぐり

【逗子・葉山】和田義盛夫婦の仏像と芦名城址

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場予定、和田義盛ゆかりの地。まだまだあります! 今回は運慶像もある浄楽寺と芦名城址を横須賀市芦名に尋ねます。そういえば「芦名」と「蘆名」があるの、ご存じですか?
ぷらり三浦一族めぐり

【逗子・葉山】森戸神社に将軍が愛した海を見に行こう!

海水浴場として有名な森戸海岸に、鎌倉武士の足跡を訪ねます。源頼朝が愛し、幾度も訪れたという森戸神社は2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」予習にもおすすめです。一日の終わりには、中世から変わらない壮大な夕焼けを眺めて帰路につきましょう。
ぷらり三浦一族めぐり

【横須賀中央】たった一騎で戦へ向かった武士の意地!一騎塚

和田合戦のさい、三浦義村の決定に従わず単騎で和田義盛加勢のために戦いに出た武義国。その志は残念ながら散ってしまいますが、領民たちにはながく惜しまれる存在となりました。武義国のためにつくられたとされる「一騎塚」を歩きます。
ぷらり三浦一族めぐり

【三浦海岸】和田義盛の菩提寺、来福寺へ

和田義盛の墓がどこなのかは正確には判明していません。鎌倉に「和田塚」がありますが、これも本当にお墓なのかは不明。というわけで、義盛を偲ぶために菩提寺「来福寺」を尋ねます。三浦海岸近辺の小高い丘は、景色の良い散歩道としてもおすすめ!
ぷらり三浦一族めぐり

【三崎口】和田の里めぐり第2弾! 和田義盛ゆかりの寺社

前回に引き続き三浦党の一員、和田義盛ゆかりの場所を歩きます。今回は海側ではなく山側の寺社が目的地。白旗神社が義盛の死後に建立された事実からも、領民に愛されたお殿様だったことがわかります。帰り道は長井のほうにも足をのばしてみましょう!
ぷらり三浦一族めぐり

【三崎口】和田義盛さんちにおじゃまします!和田バス停からの和田の里散策

三浦一族の総領、三浦義明の孫である和田義盛。その領地は、今でも三浦市初声に「和田」という地名を残しています。館や城の跡地を訪ねつつ、夕日のきれいな和田海岸まで歩きます。食いしん坊で情に厚かった武将の領地には、今も一面の畑が広がっていました。
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました