平安時代中期を描く、2024年大河ドラマ『光る君へ』。紫式部(むらさきしきぶ)が主人公で、サブ主人公が藤原道長(ふじわらの みちなが)。京都周辺が舞台では、三浦半島は関係ない……というわけでもありません。
なんと、三浦半島には藤原道長が結んだ草庵(そうあん=小さな仮小屋)があった……という伝承があります。それが「能見堂(のうけんどう)」です!
……ただ、その話が書かれているのは、江戸時代に書かれた『金沢能見堂八景縁起(かなざわ のうけんどう えんぎ)』という本だけなので、どこまで信ぴょう性があるのかは定かではありませんが……。
まぁ、せっかくそういう話があるのですから、バンバン大河ドラマに乗っかっちゃいましょう!
今回のお散歩コース
京急の金沢文庫(かなざわぶんこ)駅の西口から、能見堂緑地へ入り、能見堂跡・不動池を周る、軽いお散歩コースです。

西口へ出たら、線路沿いを能見台(のうけんだい)駅方面へ向かいます。

進んで行くと、グリーンの壁のアパートが見えますので、その角を曲がります。

道なりに進み、坂を上ると鳥居がちらっと見えてきます。ここが谷津浅間(やつ せんげん)神社です。

谷津浅間神社
「谷津(やつ)」というのは、この周辺の地名です。鎌倉周辺では昔「谷」のことを「やつ」と言っていました。そして、浅間神社は富士山信仰の神社です。

社伝によると、谷津浅間神社は寛仁年間(1017~1020年)に藤原道長がこの地にやって来たことが始まりだそうです。
当時、能見堂の正面の入り江から松の森が見えました。その形が塗桶(ぬりおけ=綿摘みで使う漆で塗った桶のようなもの)に似ていたことから、「塗桶山」と名付け、浅間大神を勧請(かんじょう=神仏を迎えること)したことが由来とされています。
谷津浅間神社手前の坂を下り、二つ目の角を曲がります。

ハイキングコースの案内板がついている掲示板の角を曲がってください。

小さい駐車場を右に。

その先にある、谷津染井(やつそめい)公園に、江戸時代に作られた能見堂への標石があります。
谷津道標
染井というのは、この公園よりもう少し奥にある井戸「染の井」の事です。平安時代から湧き出る湧き水で、周辺の地域の生活用水でした。水の色が茶褐色なので、布を染めることができたというのが名前の由来です。

正面には『右 能見堂 保土ヶ谷』、向かって右側には『此方江戸』。左側には『天保十年亥年 六月月 日 願光明院』と彫られています。実際は、先ほどの掲示板があった曲がり角の所にあったものを、平成29(2017)年にここに移動しました。
観光協会がオンラインで配布している地図では道標の位置が古いままになっています。こちらをご覧になって歩くときはご注意ください。
光明院とは、おそらく称名寺の塔頭(たっちゅう=師匠を慕って弟子が建てた小さい寺)のことでしょうか。光明院の山門は寛文5(1666)年に建立されたもので、現存する横浜市内最古の建物として称名寺の敷地内にあります。
というわけで、先ほどの曲がり角まで戻り、右側へ行きます。

駐車場ごしに、「六国峠(ろっこくとうげ)入口」の看板が見えます。

六国峠は、峠から六つの国(武蔵、相模、上総、下総、安房、伊豆)が眺められたことから由来します。

階段を登って……。

山道を歩いて。

途中、分かれ道がありますが行きつく先は同じですので、お好みで。私は平坦な道を行きました!

広場を通り抜けると……。

「金沢八景根元地」……能見堂跡です!!
能見堂跡
能見堂の名前の由来は、ここから景色が「能(よ)く見える」からとか、平安時代の絵師・巨勢金岡(こせの かなおか)がここから見える景色があまりに美しいので「のけぞった」からとも言われています。
どちらにせよ、景色が美しいのは確かだったようで、ここから見える景色を、八つの風景を詠んだ中国の詩になぞらえて、「金沢八景」の地名の由来となりました。
現在は……ちょっと周辺に木が生い茂っていますね。

でも、現在は梅の名所となっていて、私が行った時はちょうど咲き始めていました。

能見堂跡を後にして、坂を下って行きます。

坂を下った先にあるものは……。

「不動池」です!!
能見台不動池と谷津関ヶ谷不動尊

東屋やトイレのある公園で、天気の良い日は親子やハイキングに来た人がのんびりと休んでいます。
不動池の由来は、公園に隣接する「谷津関ヶ谷不動尊(やつ せきがや ふどうそん)」から取られています。

この不動尊は谷津川(やつがわ)の水源地を守っていて、もともとは水源地近くにありました。昭和62(1987)年の宅地開発で現在の場所に移りました。
ちなみに谷津川は金沢文庫駅の線路沿いに流れる川で、現在は暗渠となっています。
三浦半島で雅な歴史旅
というわけで、三浦半島になぜかある藤原道長のゆかりの地。実際に歩いてみるまで「本当に来たのかなぁ、来たとしても多分代官じゃないかなぁ……」と思っていました。
しかし、ハイキングコースとなっている山道は梅の花の香りが漂い、不動池ではのどかな時間が流れます。1000年前とはずいぶん風景が変わっていると思いますが、きっと昔から「藤原道長が来てもおかしくない」と人々に思われる雅な場所だったのかもしれませんね。

