「なんだい、柏木田の女の癖に…」
それが祖母のほうのキメテになっていた。あるいは、柏木田の出の癖に、と言った。それを言われると、母は顔を赤らめて、引きさがるよりほかはなかった。時には、蒼白になって、顔が引き攣る感じになった。母は耐えていた。
これも私にはわからないことのひとつだった。いったい、柏木田の女とは何なのだろうか。
山口瞳「血族」 P+D BOOKS p216
本日の散策ルート
こんにちは。うしがみです。\(^o^)/
本日はこの県立大学駅から、どうみき坂を上って、山口瞳の私小説「血族」の舞台となった柏木田遊廓の跡地をぶらぶらと歩いてみましょう。
県立大学駅→どうみき坂→富士見町旧道→柏木田遊廓跡地
いざレッツゴー!!!
ざっくりとした血族あらすじ
昭和51年の秋のある日、作家である私(山口瞳)は空襲で焼けてしまった家のアルバムに父と母の結婚式の写真が無いことに気付く。それどころか、自分の生まれる何年か前の写真が一枚も無いことに疑問を抱いた。
それまでにも私は自らの出生について疑わしげなものを感じていた。
母は横須賀で生まれ、横須賀で育った。私は鎌倉や葉山には何度も行ったが、母は一度も私を横須賀へ連れて行こうとはしなかった。そのことが不思議でならなかった。
戦争が終わって間もない頃、小久保という老人夫婦が家に住み着くようになる。この小久保夫婦は母方の遠縁で、母の実家が倒産したとき、迷惑をかけたために養わなければならないと聞かされていたが、なぜ母が責任を負わなければならないのかが理解できなかった。
私の親戚関係は曖昧で謎に包まれた人物が多かったが、母は親戚関係について聞かれることを極端に嫌っていたため、詳しいことは何もわからなかった。
子供時代から感じていた血縁に関する疑問を追求していくうちに、自身の母方の先祖の家柄が女郎屋で、国公認の柏木田遊廓の藤松楼の経営者の孫であったことを知る。
母を知ることは自分を知ることだという思いが強くなり、真実を探るために私は横須賀の柏木田という土地へ出向いたのだった。
県立大学駅から出発

京急の県立大学駅は横須賀中央駅と堀ノ内駅の間に挟まれた、快特電車の止まらない小さめの駅です。以前は京急安浦という駅名だったのですが、2004年に県立大学駅と改名されました。

駅を降りましたらまず右方向へ進みましょう。

ファミリーマート佐野寅二安浦店が見えてきます。写真の右側に写っている赤いポストの脇を曲がりましょう。

どうみき坂です。ここを上っていきます。
どうみき坂の名前の由来

どうみき坂。ーーそれは大どぶ川でした。
明治から大正時代にかけて、どうみき坂には滝のような川が流れていて、片側には細い道があり、通行人はそこを通り抜けるのが怖いぐらいだったそうです。その頃は「どうめき坂」と呼ばれていました。どうめきは激しい川の流れを表していたのに、いつの頃からか、どうみき坂(道見木坂)というように変わっていったようですね。どぶ川が埋められて、「どうめき」という単語が持つ意味が薄れていったのかもしれませんね。

柏木田遊廓が栄えた時代はドブ川だった道見木坂。

雨が降った翌日は、わずかに水の流れる音が聞こえます。

さほど急ではなく、比較的上りやすい坂道。

坂を上りきると富士見町が見えてきます。
富士見町を通り抜ける
富士見町に着きました。柏木田遊廓跡地へ行くには何通りかの道があります。主な道として大通りと旧道がありますが、今回は旧道を選択して進みます。

二又に分かれている道があって、左側が富士見町の個人商店などが立ち並ぶ大通り、右側が旧道です。

写真右側には2018年頃まで瓦屋根の大変立派な邸宅がありました。現在は大々的に土地の再開発が行われております。

田戸台の道沿いに佇む庚申塔。

庚申塔には「庚申」という文字が刻まれているものや、三猿、青面金剛像が彫られているものがあります。歩いていて石造物を見かけたら何が描かれているか確認して庚申塔かどうかチェックしてみましょう。(^o^)

まっすぐ進みましょう。

山の上ベーカリー


実はこの旧道には山の上ベーカリーというパン屋さんがあります。
築100年の民家を改修して出来たこのお店は、薪窯で焼いたパンを食べることができて、お店からは谷戸の景色を見渡すことができるので、かなりオススメです。!(^^)!
山の上ベーカリー
- 住所:神奈川県横須賀市田戸台60
- アクセス:京急本線/県立大学駅 徒歩8分 (約600m)
山の上ベーカリーのホームページはこちら。

少し前に訪問した時の山の上ベーカリーはこんな感じでした。!(^^)!






富士見町旧道と横穴群

道を歩いていたら、建物がメリメリと大きな音を立てながら崩れ落ちていくのが見えました。トタンの外壁の大きなお家がまさに解体されてゆきます。

それを静かに見守っている方がいました。うしがみの存在に気付くと親切に声をかけてくれました。
「あら、こんにちは」
「こんにちは。今日はよく晴れましたね」
「ええ」
「この家はいつ頃からあったんでしょう?」
「私は今年で78になるんですが、子供の頃すでにありましたからねぇ。当時すでに古かったですよ。」
「当時からすでに古かったんですか!?」
「はい。ここには2軒の家があって、両方とも古かった。向こう側にあった家には子供がいて、一番下の子でも私より一つか二つ歳上でしたから」
「そうだったんですね」
親切そうなおばあさんは右側の崖を指さして、
「ここ、このフェンスも昔は無かったんですね。それで、上っていける道が何本かあったんです」
「ここを上っていけたんですか?」
「はい。よく男の子たちがここを駆け上がっていましたよ」
「田戸台方面へ上っていけたんですね」
私たちが話していると、また別のご高齢の方がやってきました。
「あの家ついに壊したんだね~。ずいぶん大きな家だったわね~」
ここを通る誰もがこの建物に注目していたようで、建物の解体を名残惜しそうに見ていました。
この道は今よりずっと細くて、井戸があって、井戸の周りは湿っていて涼しかったようです。
今うしがみが歩いてきた道の山の斜面には、石垣がずっと続いていて、斜面には穴が沢山空いていて、防空壕にも使われていたようです。


今から70年以上前にすでに古かったというお話からも相当昔の建物だったと思われます。
築100年を超えていたのだとしたら、柏木田遊廓の衰退時期と年代が被っていますね。
柏木田遊廓を利用していた当時の人間もこの家を見たことがあったかもしれません。
この建物ではどんな暮らしがあって、何を見てきたんでしょうか。
ちなみに…富士見町の旧道にそった田戸台南の斜面にあった横穴のことを総称して高山横穴群と言います。
穴の中はドーム状で、火葬された人骨、直刀の破片、須恵器が見つかりました。
どうやらここは、今から1400年ほど前に死者を葬ったとされる場所だったようです。
柏木田遊廓の跡地
「柏木田という町名は、いまはないんですよ。……さあ、あれは佐野町になるのか、不入斗町になるのか、それとも上町の三丁目あたりになるのか。なにしろ、あのへんは入り組んでいるからね。俺にもわからない」
山口瞳「血族」 P+D BOOKS p259

だいぶ近づいてきました。柏木田はすぐそこです。


この道を左に曲がれば…

柏木田遊廓の跡地に到着です!!
しかし、いま、私の目の前にある通りは、ひとめ、幅員十七、八メートルはあると思われた。両側に自動車が駐車していて、その自動車と自動車との間隔が、優に十メートルはあると思われた。私の歩幅でもって十九歩だった。
山口瞳「血族」P+D BOOKS p278
山口瞳が訪れた時と同様、両脇に自動車が駐車されていますね。
うしがみが大股で歩いたところ十二歩、左足の踵と右足の爪先がつくような歩き方をすると三十六歩でした。(変な歩き方をしていたので周りのおじさんに凄い変な目で見られた…)
山口瞳が柏木田の跡地を訪れたのは1978年頃なんですが、両脇の自動車、やけに広い道、その時と現在ではそんなに変わっていないようですね。
この道に遊廓があった頃のイメージを掴むために、うしがみは十回ほど往復しました。( ^)o(^ )





柏木田遊廓(概要)
軍港の政府公認の遊廓街。
横須賀市内で最も古く、公然に認められていた。
・明治21年の大滝町の大火によって遊廓が消失したため、柏木田(現、上町3丁目)に移転。
・建物は45坪以内。
・娼妓は1軒につき4名以内。
・部屋数4部屋以内。
・娼妓が見えないよう、店内を板塀で囲う。
・年齢は18歳以上。
・娼妓は軒下から出てはならない。
・薄暗くなってから、深夜2時まで。
などの決まり事があり、東北地方や北関東の農家の出身者が多く、農作物の不作や酒に溺れた父親の家の借金を返済するための身売りである者がほとんどであった。

柏木田の女郎
だから、この土地は生き霊が祟っているんですよ。
山口瞳「血族」P+D BOOKS p382
女郎の中にはひどく凄惨な仕打ちを受けた者も多くいたそうです。
「血族」には、柏木田の女郎はまともな食事を与えてもらえず、病気になると座敷牢に閉じ込めて蛆が出るまで放っておかれ、死んだら夜中に捨てに行ったというようなことが書かれています。
これを最初に読んだとき、うしがみは言葉を失いました。座敷牢の中で生涯を終えた女郎の最期は想像を絶するものだったはずです。

そこの谷戸に焼場があったんですよ。そこに無縁様があって、みんな無縁に埋めたんですよ。
山口瞳「血族」P+D BOOKS p382
おそらくここでの無縁様は富士見公園の無縁塔、谷戸の焼場は現在の富士見霊園の場所に昔あった焼却場のことを指しているものと思われます。
無縁塔には、刑務所で亡くなった人だけでなく、柏木田遊廓で身寄りのなかった人も葬られていると言われています。

血族総評
(これにはうしがみの主観が含まれています。間違っている可能性もありますのでご参考までに)
この話の面白いところは、「血族」という言葉が、単なる「血縁のつながり」というよりも、「柏木田のつながり」があったことを言い表しているところにあると思います。
山口瞳は柏木田の老婦人から、小久保夫婦が中田楼の人間で、遠縁でも何でもない、いわば他人だったと知ります。
そんな人の面倒を何故母は見ていたのか、息子(山口瞳)に嘘をついてまで遠縁の者だといったのか。
柏木田遊廓は学生が門から入れないような土地でした。そこの子供たちは門から入らず、裏から入るようにしていて、柏木田とバレるだけで乞食奴等と言われるので、みなが出身を隠していたといいます。
遊廓を営む祖母エイの元で育った静子(山口瞳の母)は、明るい性格だったにせよ、多少なりとも肩身の狭い思いをしていたのだと思います。
そこにいた人間にしかわからない苦悩があったからこその結びつきだったのかもしれませんね。
終わりに
今回あらすじを書くにあたって、父、兄、祖母、丑太郎(母の兄)、岡泉の兄弟(親戚だと思っていた岡泉楼の兄弟)、君子(母の妹)、保次郎(母の弟)、豊太郎(日向ぼっこが好きな母の父)などの存在に触れていません。
というのも、この小説はとにかく登場人物が多すぎて、全てを説明しようとするととんでもなく長くなって、しかもわかりにくくなるので、彼らには今回休んでいてもらうことにしました。
是非、山口瞳の「血族」を読んでみてください。新たな発見があるはずです。
そして出来ることなら、お天気の良い日に、当時この地で生きていた人達のことを思い出したりしながら、柏木田遊廓の跡地を歩いてみてくださいね。!(^^)!
