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【三崎口】三崎港の腹ごなし史跡散歩・後編

三浦半島が誇るマグロの街。三崎の史跡散歩後編です! 三崎の商店街を通って静かな港湾部に向かいます。

途中の美味しそうな匂いの誘惑に負けつつも、もう少し歩いてみましょう!

今回のお散歩コース

三崎_鎌倉時代の三崎(後編) - Google My Maps

前回の続きとして、「三崎港バス停」から「本瑞寺(ほんずいじ)」、「大椿寺」に向かいます。

前回の記事はこちら

本瑞寺までのアクセス

三崎港バス停から、三崎の商店街に向かいます。

三崎港バス停の後方へ
タイルの道を真っすぐに
商店街の入り口

三崎の商店街には三崎グルメが堪能できる飲食店がたくさんあります。「まぐろソースかつ丼」「まぐろラーメン」「みさきマグロきっぷ取り扱い店」など、何度でも足を運んで味わい尽くしたいですね!

オススメなのは、港を眺めながらゆったりとした時間を過ごせる「ミサキドーナツ本店」。
MISAKI DONUTS公式サイト

ご当地B級グルメを競う「B-1グランプリ」で、過去に銀賞を受賞した、中華料理店「牡丹」の三崎まぐろラーメンですね!

本瑞寺へは十字路を左へ曲がります。

すみません。ナナメになってしまいました(汗)

まっすぐ行くと、三崎港でも1・2を争う大人気まぐろ料理店「くろば亭」がありますが、その正面に本瑞寺への階段があります。

くろば亭公式サイト

本瑞寺への階段

本瑞寺の縁起

本瑞寺は、鎌倉時代は「桜の御所」と呼ばれる将軍の別荘でした。その名の通り、庭には桜が咲き乱れていて、桜の季節にはここで花見が行われました。

当時の庭からは城ヶ島も一望できました。城ヶ島の三崎側の海岸線には頼朝が植えさせた千本の桜もあり、桜の御所の桜と共に、海に浮かぶ桜も堪能していたそうです。

また城ヶ島の名付け親は、頼朝とも、その息子の頼家とも言われています。もしかしたら、まだ幼かった頃の頼家が「お城みたいな島」と言って、親ばかな頼朝が賛同したのかもしれませんね。

しかし、現在本瑞寺には桜の木が数本あるだけで、境内からも城ヶ島は見えません。

戦国時代の初期。三浦一族が後北条氏に敗れると、この風光明媚な三崎の町も、後北条氏の所領となります。近くの三崎城も海防の要塞となりました。

本瑞寺は戦国初期の三浦一族の菩提寺で、元々は山の麓にありましたが、火災などで何度か移転し、江戸時代に桜の御所跡に移されて、現代に至ります。

大椿寺へのアクセス

前回の記事で「桃の御所」、今回で「桜の御所」を紹介しました。残るは「椿の御所」、大椿寺(だいちんじ)です。

大椿寺へはバスもありますが本数は少ないので、てくてく湾沿いを歩いていきましょう!

くろば亭から真っすぐ行くと、北条(ほうじょう)湾に出ます。

北条湾

北条湾の北条は、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出てくる北条氏ではなく、戦国時代の後北条氏です。三浦一族が後北条氏に攻められた時、この湾を越えて矢が飛んできたと言われています。

また、ここら辺には戦後しばらくまで遊郭があったそうです。川沿いには案内板があります。ちなみに鎌倉時代にも、三崎には遊女(あそびめ)がいました。

江戸時代になると、さらに三崎は賑わいます。江戸へ向かう船が東京湾に入る前、三崎に停泊していたため、日本全国の人々が集まっていたそうです。

激しい戦や激動の時代を感じるエピソードのある地域ですが、現在は穏やかな水面にゆったりとした時間が流れる住宅街になっています。

北条湾を、ぐるーっと回ると、やがて「椿の御所バス停」が見えてきます。その先にこんなY字路が出てきますので、左に行きましょう。

ぶっちゃけどっちから行ってもOKですが、左の方が若干近い
十字路を左に
突き当たりが椿御所こと大椿寺

大椿寺は敷地内に幼稚園が併設されているので、平日には園児たちの遊ぶ声が響いています。

大椿寺の縁起

大椿寺は、三崎にあった源頼朝の3軒の別荘の1つ、椿の御所の跡に建てられました。中庭に咲き乱れる椿の枝が、渡り廊下に溢れるほどだったといいます。

この椿の御所には、重大な秘密がありました。頼朝の妾が住んでいたのです。頼朝は「三崎に花見に行く」と言って、北条政子の目を盗んで妾に会いに来ていたのです。その妾こそが、伊豆時代からの恋人「亀の前」だといいます。

亀の前は『吾妻鏡』にも記述がある女性で、政子に浮気がバレて三浦に逃げて来たのです。

源頼朝が亡くなると、妾も出家して、椿の御所に大椿寺を建てました。そして三崎の三御所は息子の頼家や実朝に相続されます。……桃と桜はともかく、椿の御所に行くのは、二人ともちょっと気まずかったんじゃないかなぁ。

椿の謎

椿と言えば、過去の記事でも紹介している、三浦義澄の妻である矢部尼が大好きな花です。矢部尼は伊東祐親(いとう すけちか)の娘で、結婚前は伊豆半島の伊東で暮らしていました。

それに、花に溢れた場所に女性を隠すという発想が、なんとも乙女っぽい感じがします。もしかしたら……「亀の前」って、頼朝の最初の妻である「八重姫(伊東祐親の娘・矢部尼の妹)」だったりして……。あくまで個人の妄想ですが。

三崎でぷらり

以上が、三崎の史跡後編です。ここまで歩いたら、ちょうど小腹もすいてきたでしょう。三崎の商店街にぷらぷら戻って、一服していってくださいね!

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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