源平合戦のヒーローの1人、木曽義仲(きそ よしなか)をご存知でしょうか。古典の教科書には、『平家物語』の『木曽最期』を採用しているものもあるので、授業で習った方も多いでしょう。
木曽義仲とは?
木曽義仲は源頼朝の従兄弟に当たる人物で、互いに「源氏の嫡流」を争っていました。頼朝より先んじて入京し、京都から平家を追い出した人物です。しかし政治方針を巡って後白河法皇との仲が決裂し、頼朝に「木曽義仲追討」の命令が下されて、源義経と範頼率いる鎌倉軍によって討ち取られました。
ちなみに、木曽義仲を討ち取ったのは三浦一族の若者です。三浦義明の弟、芦名為清(あしな ためきよ)の孫にあたる人物で、石田為久(いしだ ためひさ)といいます。石田為久の所領は県央の愛甲郡にある愛甲石田駅の近くですので、三浦半島内ではないのですが、芦名為清の居城跡は半島内にあります。
ちなみに、石田三成は石田為久の子孫を名乗っていますが、石田三成の所領は、滋賀県。石田為久のお墓は愛甲石田にあるのでちょっとマユツバですね。
今井兼平とは
さて、その木曽義仲と強い絆で結ばれていた忠臣が今井兼平(いまい かねひら)です。かの巴御前の兄にあたり、木曾義仲の乳母子(めのとご)です。
当時の乳母(めのと)は、実の母の代わりに乳を与えるだけでなく、その家で預かって、夫婦で教育を施す役目をしていました。そのため乳母の子とは幼馴染として兄弟同然に育ち、時に主従を越えた強い絆で繋がっていました。
暴走した主人を冷静に諫められるのも、乳母子としての絆があってこそ。今井兼平も木曽義仲にたいして冷静にツッコミ……いえ、武士の道を諭す場面が『平家物語』にも描かれています。
そんな今井兼平のゆかりの地が、なぜか三浦半島にあるらしいのです! さっそく、行ってみましょう。!
今日のお散歩コース
三浦海岸駅・津久井浜駅間の1駅分のお散歩です。今回は、三浦海岸駅からスタートしました。目指すのは三樹院(さんじゅいん)と諏訪神社です。
三樹院へ
まず三浦海岸駅を出て左側の道を津久井浜方面に向かいます。

突き当りは右に曲がり、その後左に曲がります。




再び線路沿いの道に出るので、まーーーーっすぐ行きます。






三樹院の縁起
三樹院の由来には『昔々、今井兼平が出陣の時に、ここに仮屋を設けた。その後、そこに三樹院が作られた』とあります。
しかし、今井兼平は信濃国(現・長野県)の人で、三浦一族とは縁もゆかりもないはずです。しかも主人の木曽義仲の伝承は、三浦半島にはないのになぜ今井さんがここに仮屋を……? 木曽義仲さんに美味しい海の幸を振る舞いたかったのでしょうか?
実は、もう一つ地名の由来があります。三浦には「五井」と呼ばれる、五つの有名な井戸がありました。それが「吉井・長井・筑井(津久井)・大井戸・今井」です。今井はどちらかといえば、兼平さんよりも井戸の名前の方が由来としてしっくり来ますね。
三樹院の境内には、現代仏師・長田晴山師作の十一面観音像や、ぽっくりをはいて可愛らしいぽっくり地蔵、心休まる音を奏でる水琴窟など、見どころが沢山あるので、ちょっと探索してみるのも良いですね。
三樹院公式サイト:https://www.sanjuin.com/
諏訪神社へ
三樹院を後にしたら、再び津久井浜駅方面に向かいます。




諏訪神社縁起
室町時代に、長野県の諏訪大社から勧請した小さな祠が始まりといわれています。なので直接三浦一族や今井兼平と関りがあるわけではないのですが、地域から愛されていて、心の拠り所となっていることがうかがえる神社です。
津久井浜駅
さて、ここまで来たら、あともうひと踏ん張り! 津久井浜駅へ向かいましょう!





なんだか、海とアパートの組み合わせが素敵な路地……

ひたすら、道なりにまっすぐまっすぐ進む。




プラスのぷらり
ちなみに、津久井浜駅の前にある浅間神社の石碑ですが、どこにあるかというと、高架下をくぐった先にあります。春になると境内の桜がとてもきれいな桜スポットでもあります。
津久井浜駅の近くにある書店「ツバメ号」は横須賀市初の絵本専門店です。絵本好きは要チェックですよ!
うみべのえほんや ツバメ号公式サイト:http://umibenoehonya.com/
海岸沿いの通りにいくと、お洒落なカフェや海の幸を使った飲食店も多いので、お散歩でお腹がすいたらぜひ!