初めまして。横須賀ぷらから通信です。

【三崎口】三崎港の腹ごなし史跡散歩・前編

三浦半島といえば、やはり三崎のマグロ! 三崎港にはマグロ料理の店が数多くあり、それぞれの店で特徴的な料理があります。

現在も他県からの観光客が賑わう町ですが、それは鎌倉時代も同じで、将軍や執権、数多くの有力御家人たちが三浦三崎で宴会をしていました!

今回は、そんな鎌倉時代の宴会会場を回ってみましょう!

今回の散歩コース

三崎_鎌倉時代の三崎(前編) – Google My Maps

鎌倉時代の宴会会場として、桃の御所(見桃寺)→歌舞島→海南神社→桜の御所(本端寺)→椿の御所(大椿寺)を回ります。

今回はその前半。海南神社までの道のりです。

見桃寺までのアクセス

まず、三崎口駅のバスターミナル、2番乗り場から乗車し、「三崎東岡(みさき ひがしおか)」で下車します。

三崎東岡バス停

バス停近くの横断歩道を渡り、坂を下ります。横断歩道には信号がないので車に気を付けましょう!

横断歩道を渡って左へ

ここからは住宅街の細い道を行きます。

青い家を右に
この十字路は真っ直ぐ
ここのY字路を左に

途中にある墓地は、北原白秋ゆかりの「真福寺(しんふくじ)」です。明治初期に建てられ、平成元(1989)年にこの地に移転してきた「大六天神社」を通り過ぎ、突き当りを右に。

突き当りを右に
十字路を真っすぐ

この十字路は真っ直ぐ行き、道なりに右に曲がると、右手側に見桃寺(けんとうじ)があります。

見桃寺の縁起

三崎には「桃の御所」「桜の御所」「椿の御所」という、源頼朝の別荘があり、これを「花の三御所」と呼んでいました。見桃寺はその「桃の御所」の跡地に、江戸時代の三崎船奉行だった向井正綱が建てた寺です。

寺というより、町内会館のような佇まいの見桃寺

桃の御所はその名の通りに桃の木が沢山植えられていたと言われていて、現在も境内に桃の木があります。

また、北原白秋が三崎に住んでいた時に暮らしていた寺としても有名で、境内には白秋の歌碑もあります。

北原白秋は若い頃、思いつめて死ぬ場所を探しに三崎にやってきました。しかし三崎の海の美しさに心を打たれて生きる事を決意したそうです。三崎を気に入った白秋はあちこちを歩き回り、その足跡を残しました。

そのためか、三浦一族の史跡と北原白秋のゆかりが被っているのが、ちょっと面白いですね。ある意味北原白秋は心の三浦党としてシンパシーを感じます。

三崎と白秋についてはこちらの記事もどうぞ

見桃寺~歌舞島

見桃寺から海沿いの通りに出ます。左を見ると、こんもりとした山がありますが、そこが歌舞島(かぶじま)です。

左に行くと港への近道。右に行くと歌舞島の登山口や縁起が書かれた案内板があります。

歌舞島の縁起

ここは昔、入り組んだ地形の海になっていて、歌舞島は文字通りの島でした。頼朝が三崎に遊びに来た時にここで宴会をしたので「歌舞島」と呼ばれるようになりました。

かつては男性的な岩礁の海岸の美しさで有名で、白秋も歌を詠んだほどでしたが、現在は埋め立てられてしまいました。歌舞島の山頂からは富士山を望む湘南の海が見えるそうですが……あまり手入れがされてないのか、草が生い茂って登山はちょっと憚れますね……。

※編集部注:歌舞島の頂上は児童公園になっており、立ち入り自体は可能です

歌舞島~海南神社

歌舞島を通り過ぎて、この丁字路を左に行くと、「三崎港バス停」です。

ここを左

途中には、三崎の物産店「うらり」があります。1Fは海産物販売、2Fは野菜販売とカフェがあります。ちなみに三浦名物「三浦大根」は12月~3月の販売になるので、この時期に三浦に行くときに是非チェックしてみましょう!

うらり公式サイト

うらり
三崎港バス停

うらりの目の前に、三崎港バス停があります。そこを突っ切って、商店街に入りましょう。

タイルの道を左に

タイル張りの道が商店街ですが、すぐに左に曲がります。

商店街の奥に見える海南神社

その突き当りが「海南(かいなん)神社」です。

海南神社縁起

海南神社の歴史は古く、その創建は伝説に満ちています

謎の貴族 藤原資盈

昔、藤原資盈(ふじわら すけみつ)という京の貴族が、権力争いに敗れて追い出され、三崎にやってきました。その頃三崎には海賊がいて荒らされていました。資盈はその海賊退治をして、村人に慕われ、村の長となりました。

……と、この地には伝わっていますが、実は藤原氏の系図には、どこにも「藤原資盈」という名前は残っていません。一体どういうことなのでしょうか……。

ちなみに、三浦一族は桓武平氏を名乗っていますが、実際は藤原氏ではないかという研究もあります。ちょっと深堀したくなる伝承ですね。

チャッキラコ

海南神社に伝わる「チャッキラコ」という舞踊は、資盈の妻が村の女たちに伝えたものと言われています。

年配の女性が歌い、少女が踊る。荒々しい海の男の村を彩る華やかな祭りは、源頼朝も見たがったという伝承もあります。

現在では、ユネスコ無形文化遺産となっていて、毎年1月15日に披露されます。

三浦市_ユネスコ無形文化遺産チャッキラコ

三浦一族と海南神社

三崎の総鎮守である海南神社は、三浦一族とも縁が深いです。

三浦義明の戦勝祈願

源平合戦が始まる時、三浦の長である三浦義明が戦勝祈願に海南神社を訪れました。すると境内に赤いキツネと白いキツネが現れて、喧嘩を始めます。それを見守っていると、白いキツネが勝ちました。

赤は平家の旗印、白は源氏の旗印。義明は源氏がこの戦で勝つと確信して、三浦一族の出陣を決めました。

和田義盛と不思議な仕掛け罠

源平合戦が始まり、衣笠城が畠山重忠の軍勢に襲われた後、三浦一族は船で安房を目指しました。しかしその途中、和田義盛の船が暴風雨に遭い、沖へと流されてしまいました。

食料が尽きた時、義盛がこの海南神社の神に祈ると、「筌(せん)」という、魚を捕る仕掛け罠が流れて来ました。義盛はこの筌を使って飢えをしのぎ、無事に安房に辿り着きました。

源頼朝御手植えの大銀杏

境内にある大銀杏は、三崎に遊びに来た源頼朝が植えたものと伝わっています。

大銀杏といえば鎌倉の鶴岡八幡宮にある大銀杏が有名ですが、2010年に倒れてしまいました。こちらの大銀杏はまだまだ現役です。

よく見ると、なんだか頼朝が「ようこそ!」と手を広げているようにも見えます。三崎に遊びに来てテンションの上がっている将軍の姿が見えるようです。

海南神社公式サイト

港町三崎の史跡巡りはまだまだ続く!

と、ここまでを前半とします! 次回は商店街や港湾沿いをプラプラしますよ~!

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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