三浦三十八地蔵尊巡りも、いよいよ後半です! 前回、バスの本数が少ない三浦海岸エリアを踏破したので、今回の三崎口・三崎港エリアは余裕を持ってクリアができそうです。
今回のお散歩コース
三崎口駅(前回の続きからなら三崎警察署前バス停)からバスに乗って、真浄院(しんじょういん)、本瑞寺(ほんずいじ)を徒歩でめぐります。三崎港バス停から再びバスに乗って、妙音寺(みょうおんじ)、天養院(てんよういん)、正住寺(しょうじゅじ)。全部で5カ所を回ります。
14番 海潮山 真浄院
出発地点は京急の三崎口駅。駅前にある2番のりばからバスに乗ります。三7系統(三浦市立病院ゆき)以外であれば2番乗り場のどのバスでも大丈夫です。およそ10分、栄町(さかえちょう)バス停で下車。バス停から1分ほど先に行くと、真浄院があります。

真浄院は小さなお寺です。明治時代初期にあった神仏分離以前は三崎の海南神社の末寺でした。今回御開帳されている地蔵菩薩は、もともと海南神社にあったそうです。
三浦一族とも関連があります。地蔵堂にはこのような伝承があります。
室町時代、北条早雲が三浦に攻めて来た時のこと。三浦一族は油壷(現在の京急油壷キャンプパークあたり)にあった城で籠城していました。伝令役となった三浦の家人・川島身七は決死の思いで使命を果たしましたが、城へ戻ると海が血で赤く染まっていて負けを悟りました。
身七は三崎の海南神社にあった地蔵堂の下に隠れていましたが見つかってしまい、首を切られてしまいました。ところが、実は首を切られたのは身代わりとなった地蔵でした。身七はその後地蔵堂で剃髪して、地蔵坊身七と名のり、三浦一族を供養して一生を過ごしたそうです。
現在は風化している石造りの地蔵。よく見ると手の形が……『鎌倉殿の13人』で三浦義村役を演じた山本耕史さんが披露した「3」のポーズに似ているような……。


あと、このお地蔵さんも傳福寺や海応寺と同じく座像でした! 珍しい!!
15番 海光山 本瑞寺
次に向かう本瑞寺は歩いて10~15分ほどの距離です。真浄院から三崎港方面に向かい、三浦市役所入口交差点で左へ曲がります。

その先の信号を斜め右方向に向かいます。

すると、本瑞寺の裏門から境内に入れます。

表門から入ろうとすると、急傾斜の階段があってちょっと大変です。こちらから出入りできるのはありがたいですね。
この場所には元々は「桜の御所」と呼ばれる源頼朝の別荘地がありました。室町時代になってその跡地に三浦義意(みうら よしおき/よしもと)が本瑞寺を建立したといわれています。
今回御開帳されている黄金の地蔵尊は、三浦道寸(みうら どうすん)・義意親子の守本尊と伝わっていて、本瑞寺のご本尊にもなっています。
本瑞寺の本堂内にはそこかしこに三浦の家紋が施されているので、三浦一族ファンはぜひ足を運んでほしいお寺の1つです。
16番 飯盛山 妙音寺
本瑞寺を出たらそこは三崎港。三崎港といえばマグロ!!ここらへんでお昼を食べつつ三崎港バス停に向かい、三崎口駅ゆきのバスに乗って約10分。三戸入口(みといりぐち)バス停で下車します。

信号の先にある路地を右に入り……。

突き当りを左へ。潮風スポーツ公園の横を通って、交差点を右に。

まっすぐに進んで坂を下っていきます。

坂を下った突き当りの公園の前を右に。

まっすぐ行くと、妙音寺の石碑と無人販売所があります。

そこから少し行った先に妙音寺の山門があります。三戸入口バス停からは10分~15分ほど。
妙音寺はもともと鎌倉時代初期に創建され、当時は北に2kmほどの台地にありました。室町時代末期ごろにこの地に移転し、小田原北条氏の雨乞いの祈願所となっていました。
元々は三浦一族ゆかりのお寺だったのか、寺宝は三浦道寸が使用した鐙(あぶみ)です(現存はしていません)。また、道寸が彫ったと伝わる不動明王像があります。
お寺の裏山は「花山曼荼羅」とも呼ばれ、一年中花の絶えないお寺として、東国花の寺の1つにもなっています。また、駐車場の奥には四国八十八カ所霊場各所の砂が配置され、それを踏みながら庭を回ると八十八カ所を巡ったのと同じご利益が得られるという「お砂踏み」があり、ここだけでも腰を据えて見学したくなる名所です。
妙音寺の地蔵尊は金色の座像で、黒い衣をまとっていました。もともとは他の色を塗っていたのが経年劣化したのかな? とも思いますが、肌のピカピカした金色と相まってやけにパッキリした色合いで、オシャレに見えました。
17番 五劫山 天養院
妙音寺からもと来た道を戻り、公園の前の坂道を登っていきます。

行きに来た十字路をまっすぐ進み

突き当りを右に曲がり、すぐに左へ曲がります。

突き当りを左に曲がり、坂を上り切った先が三崎口駅です。妙音寺からはおよそ15分。

三崎口駅の3番乗り場からバスに乗り、赤羽根(あかばね)バス停で下車します。ここからのアクセスと天養院の詳細は過去の記事を参考にしてください。
天養院の地蔵尊も金色の座像でしたが、こちらは鮮やかな赤い衣をまとっていました。顎が四角くてがっしりとした体形で、さすが武士ゆかりのお寺のお地蔵さんといった感じでした。
18番 宝林山 正住寺
天養院を出て赤羽根バス停から横須賀方面へのバスに乗ります(三5・10・11・24・26 横須賀市民病院ゆき もしくは 須6・7・8および衣6横須賀駅ゆき。長井・荒崎ゆきは手前で終点になるので乗らないでください)。林四ッ角(はやしよつかど)バス停で下車します。

バス停を少し戻ったところの信号を渡り、路地に入ります。そのまままっすぐ進むと3分ほどで正住寺に到着します。

正住寺は普段は無住の小さなお寺ですが由緒はあります。文明元(1469)年に創建、室町幕府8代将軍足利義政が開基と伝わっています。足利義政は京都の銀閣寺を建てた将軍です。
しかもご本尊の観世音菩薩は義政の守り本尊と伝えられていて、とても強いつながりを感じます。
御開帳された地蔵尊は金色で、片足だけ組んでいる半跏(はんか)像。お地蔵さんといえばクリクリ坊主頭が基本ですが、こちらのお地蔵さんはなんと五分刈り(?)で、黒々とした髪の毛がありました。
というわけで、今回は余裕を持ってゴールです!! 次回はいよいよラスト、逗子葉山方面です。