はじめに。
最初にお伝えしておきます。このシリーズは、横須賀をあんまり知らない”ヨソモノ”である筆者が【起点は駅】【行き先を決めない】をルールに街を歩く、という「コース」と呼ぶにはいささか乱暴な散歩です。
あてもなく歩くから見えてくる(かもしれない)街の姿を一緒に楽しんでいただければ、そんなうれしいことはありません。
昭和を思わせる「すずらんの外灯」が見たくって
やって来ました、今回は『京急田浦』駅です。
各駅の普通電車のみが停まるこぢんまりとした駅ですが、白壁と木の柱のコントラストに温もりがあって、背後に緑も見えて、好きですこういう雰囲気。

この駅を利用するのは初めて。改札を出て、まずは駅周辺の様子を観察することからはじめよう、と歩道橋に登ってみます。目の前には横須賀生活とは切っても切れない国道16号線。道沿いには田浦警察署があります。

外から見ると、駅舎はかわいい三角屋根。緑を背にした街並みと溶けこんでいて、いいですね。

16号沿いは小さな商店街のようですが、コロナ禍の影響もあってかシャッターが降りている店ばかり。カフェのようなおしゃれな看板もありましたが、今日は休みのようです。

商店街が開いてると、まずは店を眺めながら……というスタートが切れるのですが、こういう場合は土地勘のないヨソモノってどこに歩いて行くべきか悩みます。京急田浦って何があるんだっけ? と考えてまず思い出すのは『田浦梅の里』。毎年春には2700本もの梅が開花し、梅祭り(2021年度はコロナウイルス流行のため中止)も行われるそうですが、今は秋まっさかり。
そこでですね。まず『仲通り商店会』を探してみることにしました。
というのも、以前Facebookで目にした投稿が印象に残っていたからです。投稿主は汐入にある古民家ギャラリー『ぼんやりとすごす夏炉』さん。そこには「京急田浦駅の仲通り商店会には昭和初期に流行したすずらん灯がある」と書いてあり、ノスタルジックなモノクロ写真も添えられていました。
こういう、その街にしかない風景を見るのが街歩きのだいご味。
さっそく、スマホを見ながら歩いていた地元風の女性に「この近くにすずらんの外灯がある商店街、ありますか?」と聞いてみました。しかし「すずらん? 分からないです」と困り顔。食い下がって、仲通り商店会の場所を聞いてみると「たぶん『ヤマザキ』の脇を入る道です」とのこと。
信号を渡ってすぐの『ヤマザキ』に行ってみると……あれ? 写真で見たアーケードがない。ここで合っているのだろうか。

あわてて、近くのお店から出てきたスーツのお兄さんに聞くと、ここが『仲通り商店会』なのは間違いないとのこと。
「ああ、ありましたねえ。すずらんの明かり。でも最近工事があって、ここのアーケードと一緒になくなっちゃったんですよ」
いきなりのショック! ……いや、老朽化とか安全面とかいろいろあったのだと思いますが、なくなっていたとは!悔しいので自宅に戻ってからGoogleストリートビューをチェックすると、こちらには残ってました。在りし日のすずらんの明かりが。


すずらんの外灯!かわいい……アーケードを撤去してすずらんを残す、とか難しかったのだろうか。(ヨソモノが勝手なことを言ってすみません。でも残念)。
製麺所の直営店で腹ごしらえ
いきなり夢破れましたが、これで終わるわけにはいきません。商店会界隈を練り歩くことにします。
少し駅から離れたところにお店が集まっているということは、電車が庶民の足になる前に栄えていた街なのでしょうか。高い煙突が伸びる銭湯『竹の湯』も。本日はまだ早い時間のせいか、オープン前のご様子。

銭湯の並びに『船食製麺』と書かれたお店がありました。麺の直売所があり、それと隣り合うように食券スタイルの食堂『めん処 船食』もあります。

小腹が減ったので、こちらでたぬきそば390円をいただきました(そばの写真を撮り忘れた……)。
メニューは300~400円代のリーズナブルな価格帯。安定のおいしさです。ぐるり周りを見回すと、私以外のお客様、全員が短髪&やけに筋肉質。いや、普通に目立つくらい筋骨隆々な人たちなんです。そういえば先日、友人が横須賀の海上自衛隊で働いている甥っ子を連れて遊びに来ていたんですけど、海上自衛隊があるのって田浦なんですよね。彼らも海自の人たちなのかも、とおそばをすすりながらふと考えました。
せっかくなので、麺も買って帰ることに。お店の方に聞いたところ、昭和8年から営業をしているとのこと。ラーメン1玉80円、そばやうどんは90円。

「保存料とか入ってないから、2~3日中に食べてね。ラーメンはもうちょっと持つから、先にうどんから食べるのがいいわよ」とお店の女性。こういうなにげない会話のある買い物、なんか嬉しいです。
なにこの街? ただ者ではない建物が次々と
さて、再び歩き出しましたが、なかなか味わいのある街です。昭和系の古いビル好きとしては、タイル貼りの外観とか、角ばった四角い窓の連なりとか、見応え十分。新しいマンションも増えつつあるようですが、古い建物もまだまだ残っているみたい。


そして、すごい個性的な門構えを発見! 溶岩?ただ者ではない佇まい。今は住宅のようですが、料亭かなにかだったのでしょうか。

大胆なパッチワーク感のあるアパートも。いや、工場でしょうか? インダストリアル系とか流行ってますが、海外のファクトリーみたい色使いに見えなくもないです。

裏道に入るとクルマ1台でギリギリ、さらには人しか通り抜けられないくらいの細い通りもあります。そのうち、印象深い建物が目の前に。これはもしかしてカフェー建築ではないでしょうか。

東京だと墨田区などにあるのが有名ですが、戦前の繁華街にあった「カフェー」に見られる建築。現在のカフェとはだいぶ違って、女性がお酒を出して接待をするクラブやバーに近いものだったようで、そことのすみ分けで「純喫茶」という言葉が生まれた、と言われています。
話が逸れましたが、カフェー建築の特徴とされているのが曲線を描いた意匠や扇形の窓。あとは家の本体は普通の木造家屋なのに、通りに面した正面にだけ装飾がしてあるところとか。これは営業用に、見えるところだけを華やかにしたのが理由ではないか、とされています。この建物はドアの脇に「バー」と書かれていますが、現在は使われていない様子。
同じ通りの並びにも、同様の建築がもう一軒。

こちらは塗り替えられ、今も民家として大切に使われているようですね。二階の窓の形や、正面だけの飾りなど、意匠に共通点が見られます。こういう建物が残っているということは、戦前は京急田浦界隈、人が集まる繁華街があったのでしょう。帰り、中央図書館に行って調べてみようっと。
そのまま住宅街をうろついていたら、駐車場の向こうになんだかラピュタみたいな建物が。

結構な存在感。気になるので近くまで行ってみることにします。


ゆるやかな坂を登っていくと入口がありましたが、ガッチリと塞がれています。まわりこんで建物の全景を見てみると、だいぶカッコいい。人気がないところを見ると使われていないようです。

どうもこの建物に見覚えがあるような気がしたので、自宅に戻ってから探しました。私の横須賀街歩きバイブル『建物で読む横須賀』(発行:横須賀建築探偵団)。

そしたらやはり載ってました。『旧田浦町役場建物』。大正15年築の鉄筋コンクリート造だそうです。ロケーションといい、建築デザインといいステキ。平成19年から使われていないようですが、古い学校をインキュベーションに利用している『台東デザイナーズビレッジ』みたいに使ったら面白そう……とか妄想が湧いてきます。
いいですね、京急田浦。建物が面白い。住宅街の中もぷらぷらしてみましたが、斜面を造成して家を建てているせいか、通りを挟んで左右の家の段差がすごいし。


二階建ての家よりも、隣合っている平屋のほうが高い所にあるなんて何だか不思議。
私がいま横須賀で借りている平屋も、坂の途中というロケーションから擁壁の上に建っています。初めて見たときは、まるでお城の石垣みたいだなあ、というのが第一印象でした。ちなみに『横須賀ぷらから通信』のタイトルバナーも擁壁のある風景。
こういう街並み、横須賀の人にとっては見慣れたものかもしれないのですが、北海道生まれの私にとってはすごく新鮮に映ります。
東芝ライテックに沿って海自のお膝元・長浦湾へ
さて、ぐるっと回っているうちに国道16号に戻ってきてしまいました。下り方面を見ると、とても大きな白い建物があるのでそっちに向かってみます。

『東芝ライテック』の工場でした。ものすごい広さです。この工場の門の意匠、とても重厚感があって気になります。雨が降ってきましたが、この工場の敷地をぐるりと回ってみようと思います。

しかし終わりが見えない。塀に沿って歩いて行きます。

先ほどのエントランス付近はそうでもありませんでしたが、敷地が奥まって行くと同時に工場も蔦が絡んだ様子に変わって、味わいを増してきました。角を曲がると……あ、海が見える!

海に向かって、ついつい早足モードになりますが、それにしても右側の建物の「やれ感」が気になる。迫力がすごいんです。

この建物は使われているんでしょうか? いま、Netflixで『GOTHAM/ゴッサム』を観ているんですけど、事件の舞台となる工場シーンに登場するセットみたいです。
さて海についたら……おっと、軍艦!

予想していない場所で、いきなり軍艦を観るとハッとします。グーグルマップを見ると、ここが長浦湾。湾に沿う形で、左右一帯に海上自衛隊の施設が分布しているようです。
実はさっきから、降りしきる雨をものともしないランナーと何人もすれ違ってまして、ちょっと京急田浦ランニングさかんすぎ、と思っていたのですが、製麺所でお見かけしたような海自の人たちかもしれませんね。このエリアがまさにお膝元みたいです。
雨が強まってきました。引き続き、東芝の敷地に沿って歩いていきます。そしてやっぱりこの工場、建物が普通じゃなさすぎて気になる! アール窓が連なってます。かなり古そうなのに、建て替えずに残してあるんですもんね。これも図書館で調べる対象にします。

景徳寺の前を通り、船越神社を参拝
工場の敷地沿いをぐるりと回って、また国道16号に戻ってきました。交差点には『三浦札所観世音第二十一番 景徳寺』とあるお寺がありました。

横須賀市のサイトを見てみると、このお寺の本尊『十一面観音像』について興味深い言われがありました。
昔、朱漆の船に乗った観音像が入り江に到着、拾い上げた土地の人が以前山腹にあった『宝珠庵』にお祀りし、それをご本尊に迎えたのがお寺の始まりなのだそう。このあたりの地名が船越町なのは、観音様が「船」でお「越」しになったからなのだとか。
国道を挟んで向かいには、高台に位置した神社が見えます。眺めが良さそうだし、せっかくなのでお参りしに行ってみます。

階段を昇りきると、想像していたより境内は広々。広場のようになっており、休憩できるようベンチもいくつか置いてありました。

こちらは、界隈の町名を冠した『船越神社』。再び、横須賀市のサイトによると、先ほど通ってきた『景徳寺』の境内にかつてあった宝珠庵(最初に観音様をお祀りしたところでしたね)の守護神社で、地主神としてまつられていた旧熊野社が、神仏分離などを経て昭和9年に船越神社となったのだそうです。
境内からは先ほど脇を抜けてきた『景徳寺』がよく見えます。

ちなみに、今回歩いたのは『京急田浦』駅周辺ですが、JRにも『田浦』駅があり、それは写真のトンネルを抜けたさらに先。『京急田浦』駅から歩くと、おそらく20~30分かかりますのでくれぐれも「うっかり田浦違い」にご注意を。
JR『横須賀』と京急『横須賀中央』(徒歩25分)、JR『久里浜』~京急『京急久里浜』(徒歩5分)とか、私のようなヨソモノは似たような駅名に注意!というのは横須賀市あるあるなのかもしれません。 ここからは国道沿いを歩いて京急田浦駅まで戻ります。
今回の散歩は、お昼ご飯も含めて約2時間でした。
『横須賀中央図書館』で京急田浦を調べてみる
今回はこれで終わりません。京急田浦を歩いて感じた謎を紐解きたく、帰りに横須賀中央図書館に寄ります。

郷土史本のコーナーに行くと、いろいろ関連書籍がありました。
まずは謎の建物がいっぱいあった『東芝ライテック』ですが、それもそのはず。こちらは戦前、旧海軍造兵部として機銃や無線などの工場があった場所で、その施設が転用されているとのこと。あの重厚な門構えと同様のデザインで造られている旧海軍造兵部の本館(製図工場)も敷地内にはあり、今は東芝ライテックの事務所として使われているそうです。海上自衛隊のあった長浦湾の一帯も、戦前には水雷術の研究所や兵器庫などが。

明治19年に兵器製造工場ができてから次々と軍の関連施設が誕生、街は急速に賑わいを見せて昭和初期は近郷一番の繁華街に。例のカフェー建築があった辺りは、やはり職工や水兵を対象に居酒屋や春を売る店が並ぶ色町『皆ヶ作銘酒屋街』だった、とありました。今は静かな住宅街という様子でしたが、かつては芝居小屋まであったらしいですから、今で言う京急田浦の界隈はものすごく活気があったのでしょう。
こういう歴史を聞くと、横須賀はホント海軍の街なんだな……としみじみ感じます。
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ヨソモノ各駅駅前探訪記では、一度しか体験できない「知らない状態」で感じることを大切にして、できるだけ前情報を持たずに歩いていますが、後からこうして答え合わせしてみるのも面白いし、これを知った後にまた歩いてみると、またひと味違う発見ができそうです。
次回は、3駅め『安針塚』駅。徳川家康に仕えたイギリス人航海士ウイリアム・アダムス(和名:三浦按針)の名を冠した駅です。どんな発見があることやら……どうぞお楽しみに!
参考:建物で読む横須賀/横須賀建築探偵団、研究紀要 授業実践記録・別冊 神奈川総合高等学校「昭和史研究会」翔鴎祭展示図録 占領下の娼婦から見た戦争 敗戦後の娼婦の実態を探る~県立婦人相談所の資料分析を通して~ /県立神奈川総合高等学校 昭和史研究会、古老が語るふるさとの歴史 北部編/編集 横須賀市、京急線普通電車の旅 Vol.5 京急田浦編/京急グループ