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【金沢文庫】江戸時代の観光名所「金沢八景」の今昔・前編

古くから金沢は風光明媚な土地として知られていました。鎌倉時代後期になると、中国からやってきた僧が鎌倉の寺の住職になることが多くありましたが、彼らは金沢の風景を中国の風景に似ていると感じたそうです。

江戸時代になると、『北条五代記(ほうじょうごだいき)』などを書いた仮名草子作家・三浦浄心(みうら じょうしん)が、『名所和歌物語(めいしょ わかものがたり)』の中で金沢の地名を「瀟湘八景(しょうようはっけい)」になぞらえました。

「瀟湘八景」は中国の山水画の伝統的な題材、そのモデルとなった名所のことです。

  • 夜に降る雨を描いた「夜雨(やう)」
  • 鴈(がん)が干潟に降りてくる様子を描く「落雁(らくがん)」
  • 夕方に響く鐘の音を表現した「晩鐘(ばんしょう)」
  • 山霞にけむる山里を描く「晴嵐(せいらん)」
  • 日暮れに舞い落ちる雪「暮雪(ぼせつ)」
  • 夕焼けに染まる寂しい漁村「夕照(せきしょう)」
  • 水上に冴えわたる秋の月「秋月(しゅうげつ)」
  • 帆掛け船が夕方、港に戻って来る様子「帰帆(きはん)」

金沢の中のどこに当てはめるのかは解釈が分かれますが、江戸時代初期の中国の僧、東皐心越(とうこう しんせつ)が、能見堂から見た景色を「瀟湘八景」になぞらえた漢詩を詠んだことで、比定されました。

それから多くの絵師が「金沢八景」を解釈して描いています。有名なのは江戸時代後期の絵師、歌川広重(うたがわ ひろしげ)の『金沢八景』です。地元民にとって、八景といえば広重の絵。そこで、今回は広重の錦絵を手がかりに巡ってみます。

と、前置きが長くなってしまいましたが、江戸時代の観光名所「金沢八景」の今昔を巡ってみましょう!

今回のお散歩コース

金沢八景 - Google My Maps
前編: 後編: purakara.com/archives/9649 (5/10公開)

巡る順番は北から「小泉夜雨(こずみ の やう)」「称名晩鐘(しょうみょう の ばんしょう)」「瀬戸秋月(せと の しゅうげつ)」「洲崎晴嵐(すさき の せいらん)」「乙艫帰帆(おっとも の きはん)」「平潟落雁(ひらがた の らくがん) 」「野島夕照(のじま の せきしょう) 」「内川暮雪(うちかわ の ぼせつ)」です。

ちなみに金沢文庫には、私の記事ではおなじみハローサイクリングのレンタルポートもできましたので、自転車で川沿い・海沿いを回るのも気持ちいいですよ!

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小泉夜雨

歌川広重『小泉夜雨 (金沢八景)』 国立国会図書館デジタルコレクション

「小泉夜雨」の小泉とは、現在の手子(てこ)神社周辺の地域です。最寄り駅の金沢文庫からの経路は、以前の記事を参考にしてください。

「夜雨」は雨が降る夜の風景なので、雨の降る夜に行くのが筋なのでしょうが、若干めんど……ゴフン! 夜じゃ写真も上手く撮れないですし、晴れた昼間に行ってきましたよ!

う~ん、のどかな街の川って感じですね。広重の『小泉夜雨』は、川沿いにあった松の木の祠から見た景色……らしいのですが、その祠は享保8(1722)年に手子神社の境内に移されました。では元々あった場所はというと……。

見渡しても周辺に松の木はありませんね……。

出典:地理院地図

江戸から明治ぐらいまで、手子神社あたりまでは入り江になっていたようです。広重はおそらく、神社の下から東側をみて描いたと思われます。

称名晩鐘

歌川広重『称名晩鐘 (金沢八景)』 国立国会図書館デジタルコレクション

『称名晩鐘』は、夕暮れに称名寺の鐘の音が響く風景のことです。なので称名寺の鐘が聞こえる範囲内の場所なのですが……。手がかりは山が見えるということ……。

ちなみに称名寺の鐘は鎌倉時代のものです。老朽化が進み、近年では除夜の鐘も鳴らさなくなってしまいました。残念。

出典:地理院地図

入り江は現在の金沢文庫駅まであったようです。だから文庫駅あたりの16号沿いから称名寺方面をみたのではないかと思われますが……。

う~~~ん! 時代の流れ!!!! こうなったら少しでも広重の絵っぽい所を探してみましょう。

農研機構農業環境研究部門「歴史的農業環境閲覧システム」比較地図

左の地図は明治時代のものですが比較してみると、平潟湾に出て野島か室の木方面を眺めると良いと思うのですよね。

とりあえず、金沢文庫駅から称名寺へ向かってみます。

左に曲がって、坂を登って真っ直ぐ行った先に……
称名寺の赤門
赤門を背にして真っすぐ進むと平潟湾へ出ます

ちなみに称名寺の向かいにある薬王寺は、源頼朝の弟・源範頼ゆかりの寺です。

道の途中にある龍華寺も、源頼朝と文覚上人ゆかりの寺です。

とりあえず、称名寺から突き当りの平潟湾まで来てみましたが……

マンションが立ち並んでいて、山は見えず……。残念。

瀬戸秋月

突き当りを右に進むと、大きな橋があります。これが「瀬戸橋」で、瀬戸秋月の舞台です。

歌川広重『瀬戸秋月』 国立国会図書館デジタルコレクション

現代ではこんな感じ

まさしく、「今昔」って感じの風景ですね!

出典:地理院地図

錦絵の左手にある山が瀬戸神社だとすると、現在の平潟湾の上に浮かんだ船から泥亀のほうを見た構図かもしれません。現在なら、琵琶島かシーサイドラインの高架下から、イオン方面を見た感じですかね?

洲崎晴嵐

瀬戸橋に背を向けて、平潟湾沿いに真っすぐ進むと、「洲崎公園」に着きます。

歌川広重『洲崎晴嵐』 国立国会図書館デジタルコレクション

洲崎晴嵐には塩田が広がっていますが、もちろん現代に塩田はありません。なので……。

洲崎公園

公園越しの平潟湾とか、どうでしょうか!?

出典:今昔マップ on the web

明治時代にも現在の州崎公園より東側に塩田が残っていることが確認できます。現在は集合住宅になっているあたりです。

残りの4つは後編に続きます!!

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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