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【鎌倉】『逃げ上手の若君』北条時行の逃亡ルートを追え!――天園ハイキングコース

令和6(2024)年の夏、アニメ版放送スタート時から人気が爆発した『逃げ上手の若君』。原作から読んでいた私も、毎週楽しみに見ていました。2期も楽しみです。

しかし歴史・鎌倉オタクとしては、気になるところもいろいろ出てきました。その中の1つが、アニメ第2話。逃げ上手の若君こと北条時行ほうじょうときゆきくんと、五大院宗繁ごだいいんむねしげが戦った場所ってどこ……?

  1. 鶴岡八幡宮より高い場所
  2. 鳥居と由比ヶ浜がまっすぐ見える
  3. 広々と開けた土地に岩がある

条件としてはこの3つ。まず地図上で確認すると……、 の十王岩付近かもしれません!!

国土地理院地図から作成

というわけで、早速行ってみましょう!

今回のお散歩コース

『逃げ上手の若君』も通った? 逃走ルート - Google My Maps

天園ハイキングコースへ入っていくルートはいくつかあります。今回は覚園寺かくおんじの近くから山に上ってみましょう!

せっかくなので、前回の三浦一族の通勤路の続きとしてJR鎌倉駅から歩きます!

JR鎌倉駅から小町大路を北上

源頼朝が鎌倉の守りとして建てた「本覚寺ほんがくじ」は若宮大路を挟んで駅の向かいにあります。裏手にある小町大路をまっすぐ北へ向かいます。

しばらく進むと、日蓮宗の開祖である日蓮上人にちれんしょうにんが住んでいたといわれる日蓮堂や、

日蓮堂

日蓮上人が辻説法をしていた場所を伝える石碑があります。

日蓮上人辻説法跡

近くには「土佐房昌俊とさのぼうしょうしゅん邸跡」やしきあとがあります。

土佐坊昌俊邸跡

土佐坊昌俊は源平合戦の頃に活躍した僧侶で、源頼朝みなもとのよりともに仕えて僧兵として合戦に参加していました。

有名なエピソードは壇ノ浦で平家が滅んだ後。頼朝と、その弟・義経よしつねが対立し、昌俊は頼朝から命じられて京都の堀川ほりかわにある義経の屋敷を夜襲しました。俗に言う「堀川夜討ほりかわようち」ですね!

歌川芳虎『堀川夜討図』 東京都立図書館

ちなみに昌俊はこの夜襲で返り討ちに遭い、命を落としました。

さらに真っすぐ進み、宝戒寺ほうかいじの前を通り抜けます。

宝戒寺は、歴代執権の屋敷跡に建てられたお寺です。

宝戒寺山門

鎌倉幕府が滅んだ後、幕府を滅ぼした後醍醐ごだいご天皇が足利尊氏あしかがたかうじに命じ、歴代の北条氏を鎮魂するために建立されました。

宝戒寺をまっすぐ行くと、斜めになっている十字路「筋違橋すじかえばし」があります。

今は道路となっていますが、鎌倉時代にはくの字に曲がった橋がかかっていました。

大蔵御所

筋違橋を奥に進むと、突き当りに横浜国立大学付属の小中学校があります。実はこの小学校のグラウンドに三浦一族の屋敷がありました。

小学校の前を通って突き当りを左に。すぐにまた右に曲がります。

赤混じりの敷石が敷き詰められた一画が鎌倉時代初期の幕府、大蔵御所おおくらごしょ跡です。

中心にある清泉小学校には、大蔵御所の中庭の岩が残されています。

清泉小学校の前を左に曲がると、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の墓や、2代執権・北条義時ほうじょうよしときの墓所跡、初代政所執事まんどころしつじ大江広元おおえひろもとの墓所。そして宝治合戦で亡くなった三浦一族のやぐらがあります。

が、今回はまっすぐ進みます。

大蔵御所の敷地を越えて……。

荏柄天神社えがらてんじんしゃ

ずんずん進むと荏柄天神社があります。この天神社は鎌倉幕府にとって重要な神社の一つでした。頼朝が鎌倉幕府を開く前からここにありましたが、大蔵御所から鬼門にあたるため、御所の守り神として社殿を建てたという話が残っています。

三浦一族関連で言うと、和田義盛わだよしもりの甥である和田胤長たねなががこの近辺に住んでいました。和田合戦の前哨戦である泉親衡いずみちかひらの乱の時に、胤長は首謀者として罰せられ陸奥国に流されてしまいました。

そしてこの荏柄の家も北条氏に没収されかけましたが、義盛は「御所に近いから出仕するときに使いたい」とどうにか取り戻しました。しかし、乱の後和田一族は誰も出仕しませんでした。

再び屋敷は没収され、和田一族は北条氏への不満を募らせ、ついに和田合戦が勃発するのです。

荏柄天神社を通り過ぎると、突き当りに大きな鳥居が見えてきます。

鎌倉宮かまくらぐう、通称「大塔宮おおとうのみや」と呼ばれる神社です。

創建は明治時代。明治天皇の命によって建てられました。祀られているのは護良もりよし親王です。

護良親王は、後醍醐天皇の皇子で、鎌倉幕府滅亡に関わった人物です。のちに足利尊氏と対立し、この地に幽閉されて処刑されました。幽閉されていた土牢が現在も残っていて、神主のガイドつきで見学もできます。

そんな鎌倉宮の手前を左に曲がります。

歩道の内側に沿って進み……。

まっすぐ行くと……。

ごみ収集所の横に天園ハイキングコースの入口があります!! ようやく入口です!!

ちなみに山道に入らずにまっすぐ行くと、北条義時が建立した覚園寺があります。庭園に鎌倉時代の雰囲気がそのまま残っています。

天園ハイキングコース

天園ハイキングコースは「鎌倉アルプス」とも呼ばれ、覚園寺の裏山・鷲峰山じゅぶせん、横浜市に繋がる大平山おおひらやま、そして鶴岡八幡宮の真裏にあたる天台山てんだいさんを縦走しています。

鎌倉駅前や小町通の喧騒とは完全に隔絶された静かな山道ですが、時々ハイキングをしている人とすれ違います。

初心者向けのコースとはいえ、足元は滑りやすく急こう配の坂をを昇り降りするので、歩きやすい靴や服装で行きましょう。軍手もあると良いかもしれません。

しばらく山道を登ると、山の岩肌に小さな洞窟がポコポコある不思議な場所が見えてきます。「百八やぐら群」と呼ばれる場所です。やぐらとは、鎌倉時代の鎌倉周辺にみられる墓の形式です。百八という名前がついていますが、実際は200以上のやぐらがあるそうです。

いつ誰が何のためにつくったのかは分かっていませんが、鎌倉時代から変わらずここにあると思うと不思議な感覚になりますね。

百八やぐらからさらに山を登ると、ようやくこれまで見当たらなかった標識が!! よかった! 道を間違えてなくて!

十王岩は左、建長寺けんちょうじ方面です。

途中、150cmぐらいの高さの段差をよじ登りますので、やはり軍手はあった方が良いです。

やぐらの上にポツンと見える、弘法大師こうぼうだいし像。弘法大師は空海くうかい諡号しごう(おくりな:死後に贈られる名前のこと)で、日本に密教を伝え、真言宗を開いた僧侶です。

この弘法大師像は覚園寺が丁寧に管理しています。というか実はハイキングコースのこのあたりはふもとにある覚園寺の境内です。西遊記でお釈迦様の掌の上にいた孫悟空ってこんな心境だったんでしょうかね。

少し行くと、建長寺の古い道標があります。十王岩はこの付近です。

十王岩

十王岩の石碑があり、見上げると……大きな岩が! これが十王岩です。

十王とは死後の魂を裁く裁判官のことです。日本では閻魔えんま大王が有名ですが、他にも9人います。この10人の裁判官をまとめて「十王」と呼んでいます。

十王岩を登ると、すっかり風化していますが岩肌に仏像の彫刻があるのが確認できます。

さてさて、肝心の十王岩からの展望ですが……。

天気が悪い上に木が邪魔ァ!!

天気が良くて、木がなければ由比ガ浜は見えそうです……が。

広場はない!!

ちなみに十王岩の裏は崖です。……逃げ上手の若君ならばこのスペースでもちょこまか逃げ回れるとは思いますが……やはりあの場所はファンタジー風景なんでしょうかね……。

さて帰りは、建長寺方面に進みます。

建長寺の展望広場を少し登ると、また標識が。

今泉台4丁目方面に向かいます。

坂を下って行くと……。

だんだんと階段が整備されたものに……。

民家だぁ!!

ここから北鎌倉駅まで歩くコースと、バスで大船駅まで行くコースがあります。今回は逃げ上手の若君こと北条時行逃亡コースということで、大船駅から帰りました。

今回、アニメのシーンに出て来た風景は見つけられませんでしたが、コースとして2代執権北条義時ゆかりの覚園寺や、5代執権北条時頼ときよりゆかりの建長寺の境内を通りました。

実際の北条時行がどんなコースを辿ったかはわかりませんが、ご先祖様への思いを胸に北上したとしたらあり得るコースなんじゃないかなと思います。

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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