前回に引き続き、特別ゲストをお招きしての特集記事です。「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」管理人の吉川祐介さんに、横須賀の谷戸を歩いていただきました。吉川さんは千葉県内を中心に「限界分譲地」を取り上げ執筆活動を行っていらっしゃいます。「限界分譲地」とは、おもにここ数十年の間に開発された住宅用地のうち、利便性が著しく悪い立地に作られ、なかば放棄されつつある分譲地のこと。三浦半島の谷戸は分譲地ではありませんが、利便性などにおいて限界分譲地と似たような課題を背負っています。
なお、今回は実際に販売されている、もしくは売却されて次のオーナーの手に渡っている物件を紹介しています。物件へたどり着くためのルートには私道も多く含まれ、近隣住民のプライバシーへの配慮も必要な地域です。そのため、物件近辺の写真や販売価格は掲載しますが、具体的な散策ルートや地図はご紹介しません。あしからずご了承ください。(横須賀ぷらから通信主宰・赤星)
浦賀道に残る家

前回の記事で不動産の値付けにまつわる問題を取り上げた。
次に訪問した汐入駅徒歩8分の高台にある300万円の売家を、値付けの一例として挙げたい。この売家は2022年8月現在でも一般の不動産サイトに広告が掲載されているもので、かつての浦賀道(うらがみち)沿いの集落の一角に位置する。浦賀道なのでハイキングコースとしてよく整備されており、他の谷戸上の通行路と比較すれば歩きやすい。とはいえ、もちろん車両の進入は不可だ。広告には「階段は約192段あります」と記載されていて、なかなかハードな物件である。

汐入町の売家

物件は土地面積が約106㎡、建物面積が40㎡にも満たない小さなもの。今は北側にマンションが建ってしまって視界は塞がれているが、眼下に港を望むロケーションだ。赤星さんは、戦前は軍事機密保持の観点から、横須賀港を望める高台での新規住宅建設は、軍関係者を除けばほぼ不可能だったと語っていたのだが、この家は、近接のマンション完成前までは港を一望できたはずである。見た目は小ぶりで質素な印象だが、実は由緒ある家なのかもしれない。

売家は、市の評価証明書には1927年(昭和2年)の建築と記されている。登記簿上の記載と現況が合致していないので不明な部分はあるものの、浴室が離れに設けられているところを見ても、相当に古い建築物であることは間違いない。築95年で一部未登記の建物となれば、一般的には家屋の査定額は確実に0円だ。前回解説した評価基準で考えれば、この物件価格は家屋の解体費用を見込んだ土地値で設定されることになる。

ところがその場合、仮にこの家屋の解体費用を100万円程度と仮定すると(条件が特殊で解体費用の推測が困難なため、あくまで仮定である)、更地であった場合の価格は約400万円になってしまう。いくら汐入駅から徒歩8分の立地とはいえ、宅地利用が困難な谷戸の30坪の狭小地が400万円という価格設定は、はたして妥当なものなのか。

売家で300万円という価格は一見すると安く感じるが、実際には築95年にも及ぶ古家でありながら、その価格には解体費用が見込まれていないどころか、逆にわずかとはいえ、しっかり建物の価格も上乗せされていることになる。否、むしろこの300万円という価格は、そのほとんどすべてが建物の価格なのではないだろうか。
更地より古家のほうが良い

本来なら解体を前提で値付けがされるはずの古家付き土地に、更地よりも高い価格設定が行われてしまう現象は、都市部ではなく、地方の小都市や田舎で見られるものだ。都市部とは真逆の現象が起きる理由の一つは、田舎においては更地の供給量に対して新築用地の需要が少なく、市場は常に土地が供給過多の状態にあること。二つ目は都市部と比較して中古住宅の絶対数が少ないため、築古の住宅であろうと一定の需要が見込まれることである。有り体にいえば、土地そのものに市場価値がない、ということだ。
つまり家屋として使える状態ならどんな古家でも、何もない更地よりは高く取引されるが、逆に、いよいよ再利用が困難なほど朽ち果てた廃屋は、もはや更地に戻す価値もない「負動産」とみなされ、市場における流動性を完全に失ってしまう。
不動産を負動産にしないために

古くから発展した軍都である横須賀市は、平坦部に展開された市街地であれば、そんな田舎の負動産の論理が適用されることはない。ところが、地形的な制約があまりに厳しい急傾斜地上の更地は事実上新築用地としての需要をほぼ失ってしまっていることから、汐入駅のような商業施設に恵まれた立派な駅の徒歩圏であろうと、その評価基準はすでに逆転している。こうなると、谷戸の古家は、利用可能な状態を維持して初めて値付けが可能になるものであり、更地や廃屋は、場合によっては売却どころか、手放すことすらも期待できない。この認識が、今後ますます重要になってくるのである。
「みんなの0円物件」

「みんなの0円物件」というサイトを御存知だろうか。このサイトは、日本全国にある、一般的な不動産市場での売却が難しい不動産の無償譲渡先を募る不動産の個人間取引サイトで、掲載物件の多くは地方部の不便な古家や山林・田畑などだ。ところが最近になって横浜市内の丘陵上の朽ち果てた廃屋や、通常の宅地利用が困難な更地も「0円物件」として続々と登場し始めている。
これもまた、「家屋の解体費用を見込んだ更地価格」を見込んだ価格査定が困難な悪条件の立地であるために一般の不動産市場に流通させることができず、無償での譲渡先を探しているものだ(2022年8月現在、1件は成約済み)。置かれている条件としては、横須賀の谷戸に残された宅地跡や廃屋も、この横浜の0円物件と何も変わらない。
昨今、メディアでは「空き家問題」の話題が盛んに取り沙汰されてきた。周辺に危害を及ぼす恐れのある老朽家屋の放置はもちろん問題だが、空き家がもたらすリスクは、倒壊より、むしろ手放すのが困難になる可能性がある点こそもっと広く認知されるべきである。その一方で、メディアの扇動によって、ことさら必要以上に「危険空き家」のリスクを恐れるあまり、不必要に慌てて解体を急いでしまうのも、ある意味では放置以上の悪手であるという視点も重要になる。割高な解体費用を捻出しても、結局は再利用が困難な「地面」が出来上がるだけであり、売却どころか解体費用の回収すら難しいかもしれない。
古家の持ち主はどうするべき?

ではどうすればよいのかというと、まず、家屋を所有し続ける意思があるのならば、どんな築古の古家であろうと管理は怠らず、リフォームすれば利用できる程度のコンディションを維持し続けること。今後も利用のあてもなく、維持し続けるのが困難であれば、家屋が手遅れの状態に陥る前に、素早く売却の決断を行うことが重要である。思い出深い生家を手放すのに抵抗がある、など、持ち主の方はそれぞれ思いはあるとは思うが、価格が付けられないほど朽ちてしまってからは手遅れなのである。勇気を持って早めの決断を下すのが重要なのだ。
実際、僕が住む千葉県北東部の田舎町を営業エリアにする不動産会社の中には、自社HP上で「空き家は絶対に解体しないでください!」と強く注意喚起しているところがある。一見すると廃墟にしか見えない古家でも売却に成功した事例がある、と写真つきで解説していて、空き家の安易な解体に警鐘を鳴らしている。
これは、あらかじめ解体して更地にした状態で売却の依頼を持ち込まれても、余計売却が困難になるだけで、空き家を除却したことでかえって価格も下がり、売り主にも仲介業者にも何のメリットも無いからである。仮に運良く売却に成功したとしても、もはや彼の地の地価相場では、その解体費用の回収すらも見込めないため、不動産会社としても断固として解体を阻止せざるをえないのだ。

その田舎の不動産の論理が、今や横須賀の谷戸にも起こっている。もちろん、急傾斜地崩壊危険区域といった、谷戸地域固有の法令上の制限を考えれば、すべての空き家を解体せずに維持し続けるのも現実的な話ではなく、場合によっては解体が妥当なケースももちろんあるだろう。しかし、それを所有者個人の自己判断のみで見極めるのは難しい。
横須賀市には他自治体同様、空き家バンク制度が設けられているが、真に必要なのは、単純に流通を促すだけの空き家バンクではなく、空き家の状態や立地条件、また法令上の制限や防災計画の観点などから多角的に鑑みて、その家屋を今後も市場に流通させ続けるべきか、それとも市場から退場させて除却すべきか、専門家や業者などの助言も踏まえて個別に見極める「空き家カウンセリング」や「空き家アドバイス」といった制度のほうが実態に即している気もする。
空き家の所有者の中には、おそらく所有している自覚もない人も相当いるとは思うので、口で言うほど容易いことでもないだろうが、横浜の0円物件を見ていると、こうなる前に他に取れる手段はあったのではないか、と思わざるをえないのだ。
建物が無事なら市場に出せる
最後に紹介する汐入町3丁目の450万円の売家は借地権付きの売家だが、同時に賃料3万円で貸家として入居者募集も行っていた。物件までのアプローチは、汐入駅裏手の浦賀道とは比較にならない険しいもので、道も極めて細い上に階段の傾斜もきつく、おそらく夜間の上り下りには軽い恐怖を覚えるものだ。今回取材で訪れた物件の中では、ここが最も厳しい立地条件であったと思う。

この条件で、借地権付きの古家で450万円という価格が、実勢相場に則った値付けであるのかは僕にはわからない。しかしひとつ確実に言えることは、家屋が賃貸に出せるほどのコンディションであれば、たとえ3万円という破格の賃料であろうと、450万円という売値であろうと、その成約を期待して広告を出す不動産業者はまだあるということだ。つまり市場に流通させることができるということである。玄関に入居者募集の看板が設置されていることからもわかる。不動産にとって、これがいかに幸運なことであるか。



周囲では、蔦に覆われ、もはや近寄ることも困難な廃屋がそこかしこに点在している。所有者自ら費用を負担しなければ手放すこともできない「0円物件」の波は、今やお隣の横浜市にも到来している。さしあたって倒壊して周囲に危害を加えるおそれもないのなら、別に市民でもない僕にとやかく言われる筋合いはないのかもしれない。しかしいまや住宅用地としての流動性を失いつつある谷戸の空き家の放置は、単に危険空き家云々という話だけではない。持ち主本人はもちろん、近隣住民、行政、仲介業者のいずれも幸せになれない最悪の選択肢であるという視点は、もっと広く共有されても良いように思う。

残ってほしい谷戸の風景
それにしても、今回の探索は、酷暑の中で行う過酷なものであったが、近代的な商業施設が広がる都会でありながら、そのすぐ真裏には、古道の趣を残す、車両の往来とは無縁の、旧くとも静かな住宅街が広がっていて、確かに住むのには色々問題や困難はあるかもしれないが、これはこれで、横須賀を彩る固有の風景として、(他人事に聞こえるかもしれないが)今後も残ってほしいなあとも思える実に興味深い光景であった。単なる「首都圏郊外」の言葉では片付けられない横須賀の街並み。涼しくなったらまた、東京湾フェリーで海を越えて訪問してみたいものだ。
建築基準法の規定を満たせないこと、車両が敷地前まで進入できないこと……。さまざまな理由で、いったん廃屋になってしまうと住宅用地としての再生がほぼ不可能な谷戸地域。「不動産」を「負動産」にしないために大切なのは、現在ある建物を「使える状態」に保つこと。そして、メンテナンスをするのが難しいと判断したらすぐに手放すこと。これが資産価値も、谷戸地域の生活風景も守れる方法なのだそうです。
建物や景観に「残ってほしいね」ということは簡単でも、なかなか実際に手を出すのは難しいものです。でもやり方がわかれば、少しだけ挑戦するハードルが下がる……ような気がしないでもない……かもしれないですね。吉川さん、本当に本物の酷暑の中、ありがとうございました!(赤星)
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