令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、中川大志演じる畠山重忠(はたけやま しげただ)のイケメンぶりに心をときめかしている人も多いでしょう。実は金沢区にも畠山重忠ゆかりの地があります!
畠山重忠と金沢区
横浜市金沢区の「釜利谷(かまりや)」と呼ばれる地区には、畠山重忠の所領がありました。
三浦一族の主な産業の1つに海運業があるように、重忠さんの属する「秩父党」の主な産業の1つに「製鉄業」があります。秩父党を束ねる重忠さんは「鍛冶頭(かじがしら)」の役割も担っていて、坂東各地に製鉄所を作っていました。
その一つが金沢区の「釜利谷」で、現場監督役で息子の重保(しげやす)くんの屋敷もありました。「金沢」の名前の由来も、秩父の「金沢村」から職人を連れて来たからという説があります。
今回のお散歩コース
京浜急行の金沢文庫(かなざわぶんこ)駅の西口からスタートします。畠山重保の名前が残る「六郎橋」、畠山重忠が創建した「東光禅寺」、そして「伝畠山重保墓」に向かいます。
一応バスが通っていますが、歩いても行ける距離です。
六郎橋
金沢文庫西口に出ると、「ユニー」が見えます。

ユニーの前を通り過ぎて、ローソンの手前を左に曲がり、橋を渡ります。

突き当りを右に曲がり川沿いを道なりに進むと「手子(てこ)神社」があります。

創建は室町時代です。当時の釜利谷領主が瀬戸神社を分霊して勧請したもので、釜利谷の総鎮守でもあります。
手子神社の先、セブンイレブンのある交差点を、信号を渡って真っすぐ進み……。

左手にある小さな橋を渡ります。

真っすぐ行くと、「六郎橋」です。

元々はここに流れていた宮川支流に掛かる橋で、この辺りに住んでいたと伝わる畠山六郎重保にちなんでつけられました。
現在は暗渠となっていて、橋自体は無くなってしまいましたが、名残に欄干が残されています。
最寄りのバス停は「白山道(はくさんどう)」です。
東光禅寺
六郎橋を渡らず真っすぐ行くと、「東光禅寺」があります。

創建は建仁年間(1201~04)で、元々は「東光寺」という名前で、鎌倉の大塔宮があった場所に畠山重忠が建てたものです。そして応仁年間(1467~69)にこの場所に移転し、名前も「東光禅寺」と改めました。

本尊の薬師如来像は畠山重忠の持念仏と伝わっています。鎌倉初期の運慶派の特色が見られる貴重な仏像です。
また畠山重忠のものとされる馬の鞍が残されています。調査によって、実際は江戸時代のものと判明していますが、それでも貴重な文化財には変わりありません。前面に書かれている蒔絵のほおずきが可愛いです。
東光禅寺では写経や座禅の体験も受け付けているので、畠山重忠父子に思いを馳せながら体験するのもよいかもですね。
東光禅寺公式サイト:https://www.tokozenji.or.jp/
伝畠山重保墓
東光禅寺の参拝を終えたら、六郎橋に戻ります。ちなみに六郎橋に戻らずに奥に進むと、「白山道(しらやまどう)」と呼ばれる古道に行きます。
古い白山神社や風化した磨崖仏(まがいぶつ)などがあり、かつては鎌倉へと真っすぐ続きましたが、現在は大学のキャンパスや道路で分断されてしまっています。
六郎橋を渡り真っすぐ行くと、小さな公園があります。「六郎ヶ谷(ろくろうがやつ)公園」と言って、畠山重保の屋敷の名残です。

公園の横の細道の奥に「伝・畠山重保墓」があります。

普段は門が閉ざされていて、外から拝観する形ですが、毎年命日の6月22日には公顕彰墓参会による法要が行われ、誰でも中に入って参拝ができます。
帰りはバスかプラスのぷらり
帰りは六郎橋まで戻り白山道バス停から金沢文庫駅に戻るか、もしくはトンネルを抜けて六浦までぷらりと歩くか……。
ちなみにトンネルを抜けた先の大通り沿いには、これまた鎌倉時代ゆかりの史跡が点在しているので、次回にご紹介します!