前回の記事で、名越の切通しを、お猿畠の大切岸方面ハイランドまで歩きました。
今回は名越切通しを鎌倉駅に向かって歩いて行きます!
名越切通しは三浦半島から鎌倉へ通じる道だったので、鎌倉時代に三浦一族が通っていたことでしょう。そんな可能性があればその道を通りたくなるってのがファン心理です。
今回のお散歩コース
まんだら堂やぐら群を歩くルートについては、逗子市が発行しているマップもあわせてご覧ください。
前回と同じく逗子・葉山駅からバスに乗ります。
3番乗り場から逗29系統「 亀が岡団地循環」に乗車し、「緑ヶ丘入口」で下車します。

下車したら、来た道を少し戻ります。

突き当りを右に。

左手に見える階段をのぼります。

階段をのぼり切ったら、山道に入ります。

少し行くと、案内板がありますので名越切通し方面に進みます。

階段をのぼっていくと……

また分かれ道がありますので、まんだら堂やぐら群方面へ。

少し行くと、階段があります。

のぼるとすぐに「まんだら堂やぐら群」です。
まんだら堂やぐら群
まんだら堂というからには、かつてはお堂があったのかもしれませんが、現在は中世の墓である150以上の「やぐら」があるだけです。「やぐら」は土地が狭い鎌倉周辺に見られるお墓の作りで、山の岩壁に穴を掘ってつくられています。
「まんだらどう」という名が文献に出てくるのは室町時代の文禄3(1594)年の検地帳です。当時すでに地名として残るのみで、どんなお堂だったのか、どこの寺だったのか、どんな人たちが眠っているのかは一切わからない、不思議なスポットです。

普段は門が閉じていて、毎年4月下旬から6月初旬、10月中旬~12月中旬の午前10時~夕方まで開門しています。期間外でも門の隙間から少し垣間見ることができます。

まんだら堂やぐらを降りて、鎌倉市街地方面に向かいます。

うっそうと生い茂る夏の木々……

ちょこんと顔を出す小さなお地蔵さん。

突然狭くなる道幅……。

と、通れるの!? ねぇ、ここ通れるの!?

あっ! 通れた! よかった!!

なかなかドキドキする通勤路ですね……。さすが三浦一族。
と、いうわけで、坂を下って行きます。

突き当りの信号を渡ります。

信号を渡ると、大町大路(おおまち おおじ)。鎌倉時代の大通りです。
大町大路
大路といっても、現在は鎌倉葉山線が三浦半島と鎌倉を繋ぐ大通りとなっていて、大町大路はちょっと下町っぽさがある通りとなっています。
再び線路を渡り……。

真っすぐ行けば鎌倉駅周辺ですが、ここはあえて旧道を行きます。

川沿いを進むと……。

辻にお寺が!!
安国論寺
手前にあるお寺は、日蓮宗の開祖、日蓮ゆかりの安国論寺。鎌倉にやってきた日蓮はここに庵を結んで、国と民の幸せを説く『立正安国論』を執筆したと伝わっています。
しかしその『立正安国論』には当時主流だった浄土宗への強い批判を含んでいたために迫害され、日蓮の受難が始まりました。
妙法寺
向かいにあるのは妙法寺。こちらも日蓮が庵を結んだお寺です。実質的な開山は、鎌倉滅亡時の鎌倉攻めに加勢した護良親王の息子・日叡で、護良親王を弔うために建てられました。

辻を右に曲がってまっすぐ行くと、鎌倉葉山線に合流します。さらにまっすぐ進むと、右手側に安養院があります。
安養院
安養院は北条政子の法名です。北条政子が夫の源頼朝を供養するために建てた長楽寺というお寺がありましたが焼失してしまったため、鎌倉末期にこの地に再建して、「安養院」と呼ばれるようになりました。

隣にある別願寺は、室町時代に鎌倉を将軍の代わりに治めた鎌倉公方の菩提寺です。
さらに真っすぐ行くと「大町四ツ角」という交差点があります。
まっすぐ行けば鎌倉駅の前を通って鶴岡八幡宮の鳥居に通じる現在のメインストリートですが……鎌倉時代のメインストリートはこっち!

まっすぐ行くと、鎌倉初期の将軍の屋敷「大蔵御所」に通じるので、きっとこっちが三浦一族の通勤路だったと思います。
まっすぐ行って突き当りにある橋を渡ります。

ちなみに反対側にあるお寺は「妙本寺」。13人の合議制の1人、比企能員の屋敷跡と言われています。
橋を渡った先にあるお寺は、源頼朝が鎌倉幕府の守り神として建てた本覚寺です。

本覚寺から真っすぐ北へ進むと、歴代執権の菩提寺である宝戒寺や、大蔵御所跡に通じますが……今回のゴールは鎌倉駅なので、すぐ曲がります。

大通りに出たら、信号を渡れば、ゴールの鎌倉駅です!

出勤、おつかれさまでした!



