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【JR田浦】のの字坂から長浦の秘境尾根を歩く

長浦の尾根に隠された散歩道

概要

 三浦半島の地形の特徴のひとつが”谷戸”です。谷戸は、丘陵地や台地が侵食されて出来た谷状の地形で、横須賀市にも多くの谷戸があります。谷と谷の間は山(尾根)です。下図は、田浦・長浦地区周辺の色別標高図ですが、複雑に入り組んだ谷戸と、谷戸と谷戸の間の尾根の様子がよく分かると思います(→ 地理院地図で表示 )。

田浦・長浦地区周辺の色別標高図(出典:地理院地図)

 これらの尾根のひとつにこれから紹介する散歩道が隠されています。Google Mapにも載っていない、”秘境”の散歩道です。駅からのアクセスもよく、手軽に眺望のよい山道の散策が楽しめます。

散策ルートについて

 JR田浦駅からスタートして、同じ場所に帰ってくる周回ルートです。このルートでは直接尾根道には向かわず、まず田浦の谷戸の奥にある珍しい「のの字坂」に寄り道します。のの字坂を文字通りぐるっと回ってから「うらが道」を経由して長浦の尾根道をたどります。尾根道の終わりには吾妻社(吾妻神社)があります。吾妻社から国道16号に下りてトンネルを通り抜ければスタート地点のJR田浦駅です。総距離約3km、コースタイムは約1時間です。

長浦尾根道散策ルート - Google My Maps
長浦尾根道散策ルート

のの字坂からうらが道へ

 JR田浦駅の南口から散策スタートです。駅前の通りを国道16号の上り線へ向かいます。この辺りは国道の上り下り線が離れていて、上り線は田浦駅から見て奥側の道路です。

JR田浦駅南口
目の前を横切るのは国道16号の下り線。上り線はさらに正面カーブの向こうにある

 上り線にたどり着いたら右手に見えるトンネルの手前の道に入ります(矢印の方向)。

国道16号上り線。奥に見えるトンネル(新田浦隧道)の手前の道に入る

 ここからは緩やかな上り坂で、左右にカーブしながら住宅地を谷戸の奥に向かいます。途中、隣の谷戸に抜ける歩行者用の防災トンネル(ながかまトンネル)も見えます。

住宅地を進む

のの字坂

 谷戸の奥に近づくと徐々に勾配が大きくなってきます。急カーブを抜けると、頭上に道を跨ぐ短い橋が現れます。のの字坂の跨道橋(ループ橋)です。のの字橋とも呼ばれますが、正式な名称は「十三峠陸橋」です。

勾配が大きな急カーブ
のの字坂の跨道橋(橋梁名は十三峠陸橋)

 地図で見ると実際に”のの字”の立体交差になっています(Google Mapで表示)。

 のの字坂は、戦前に砲台の建設物資を運搬する道として作られたとのことです。低地から尾根へ道をつける場合、「つづら折り」と呼ばれるジグザグの道にする事で勾配を抑えることが多い(その代わり距離が延びる)ですが、のの字坂もループ状の道で勾配を抑えながら尾根へと上がっています。

のの字坂全景。のの字の中央には公園がある
のの字坂を進む。勾配が抑えられているとは言え急坂の部類に入る

 道はだんだん「のの字」から離れて尾根に近づいていきますが、依然として勾配はキツいです。途中、眺望がひらけて長浦港がよく見えます。

長浦港方面の眺め

 右側から道が合流するややひらけた場所に出ました。そのまま道なりに進みます。

のの字坂を経て尾根に取り付いたところ

うらが道

 このすぐ先に、道の右側に急な上り階段が合流してきます。これが「うらが道」で、散策ルートはこの先しばらくうらが道をたどります。

 うらが道は東海道の脇往還で、文字通り浦賀まで続いています。享保5年(1720年)、伊豆下田にあった奉行所が浦賀に移された際に整備されました。信じられないかも知れませんが、明治20年には国道45号に指定されたれっきとした幹線道路でした(うらが道は、三浦半島の大動脈・国道16号の旧道にあたります)。またこの辺りのうらが道は「十三峠」と呼ばれていて、難所として知られていました。

うらが道。この階段は太田坂(おった坂)とよばれていた

 うらが道をしばらく進みます。住宅の建ち並ぶ細い道路ですが、これがかつて国道だったということがにわかには信じられません。

旧国道のうらが道を進む

尾根道へ

 さらに進んでゆくと、道を少し戻るように左折する分岐が現れます(この場所をGoogle Mapで表示)。ここが尾根道への分岐です。

長浦の尾根道への分岐。矢印のように左折する
分岐点から尾根道の入り口を見たところ

 いよいよ今回のメインディッシュの尾根道の始まりです。

分岐から入ってすぐの場所
明るく気持ちのよい尾根が続く

 この尾根道は、木々もさほど多くなく明るいのが印象的です。アップダウンも少なく、下り基調の山道が続きます。

住宅地から目と鼻の先にこんな道が隠されている

 しばらくすると視界がひらけてきて、畑地に出ます。この先、他にも同じような畑があります。道は畑を縫うようにして続いています。

畑地
畑の間の道を進む。空が広く気持ちがいい
色とりどりの草花が尾根道に彩りを添える
逸見方面の眺め

 長浦町はその土地のほとんどが尾根と谷戸で形成されています。その主尾根がうらが道(十三峠)で、そこから何本かの支尾根が海に向かって延びています。今回の散策ルートはその支尾根の一つです。

雑談・ 長浦の尾根道の歴史

 この尾根道は明治時代中期の地形図(迅速地図)にすでに登場しています。のの字坂はまだありませんが、尾根道は明治地図に記された道と同じものです。
 なお、吾妻社が箱崎町の吾妻山(現在は米軍施設の吾妻島)から現在の位置に移されるのはもう少し後なのでこの明治地図にはまだ載っていません。
歴史的農業景観閲覧システムより。明治地図ではうらが道がふとぶとと描かれており、当時の幹線道路であったことを忍ばせる(出典:農研機構農業環境変動研究センター)

 畑地を抜けるとふたたび森深い尾根道に入ります。

ふたたび尾根道へ
尾根道が続く

 しばらく歩くと切通しが現れます。

切通し

 切通しを抜けると目の前がひらけてふたたび畑地に出ます。

ふたたび畑の脇を通る

 この辺りは開放的で眺めもいいです。

米軍横須賀基地方面の眺め

 畑の外側を回り込むように進むと、下の写真の場所に突き当たります。一見、道が無いように見えますが、矢印の方向に続いています。ここから尾根を下り吾妻社に向かいます。

畑を抜けて先に進む
上の地点から下りたところ。やや草木が濃い
ガードレールが設置されている箇所も
このあたりは少し道幅が狭く、道の端が切れ落ちている箇所もある

 やがて道の左側に建物が見えてきます。道の先には鳥居が見えます。ここが吾妻社です。いま歩いてきた道は、吾妻社の裏から表に抜ける脇道になります。

先に吾妻社の鳥居が見える

 吾妻社(吾妻神社)の正面に到着しました。山の上にひっそりと佇む小さな神社です。石段の左側の小路はいま下りてきた道です。折角なのでお参りしましょう。苔むした石段は滑りやすいので注意してください。

吾妻社の鳥居
吾妻社の社殿につづく石段。苔むしていていい雰囲気

 石段を上った正面に吾妻社の小さな社殿があります。傍らにある説明書きによると、本殿は度重なる大風で倒壊したため、現在のように覆殿で覆われています。

吾妻社。度重なる暴風雨で倒壊したため、本殿はコンクリートブロックの覆殿に囲われている
吾妻社の扁額。「海軍中将 上泉徳弥謹書」とある

 吾妻社をあとにして鳥居の前の道を下っていきます。ここからは岩を削った切通しの道が続きます。

吾妻社から続く切通しの道
これほど切通しが続く道は市内でも珍しいかもしれない

 この道は、先ほど触れたように明治時代に吾妻社が現在の位置に移される前からある古い道です。このあたりは尾根の鞍部(峠)になっていて、古い地形図を見ると吾妻社から峠を下る道は道路トンネルが造られる以前に利用されていた峠道と一致します。谷戸と谷戸を結ぶ重要な道だったことが想像できます。

 切通しが連続するゴツゴツした岩の道は、やがて舗装された階段に変わり高度を下げていきます。住宅地も見えてきました。

道は舗装路の階段となって高度を下げる
つづら折りの急な階段

 吾妻社から住宅地に降りてきました。ここが実質的なゴールです。ここからは道なりに進んで国道16号に出ます。

住宅地に下りたところ

 国道16号に出て上り方面に新吾妻隧道が見えます。このトンネルを抜けると、スタート地点のJR田浦駅に到着です。

新吾妻隧道(昭和18年竣工)。ここを抜けて右折するとJR田浦駅に着く

 スタート地点のJR田浦駅に戻ってきました。

約1時間の散策、いかがでしたか? 駅から徒歩圏内で歴史を感じさせる風景が味わえる素敵な散歩道だと思います。

 横須賀にはこのような道が住宅地の裏山などにたくさん隠されています。今後もこのような散歩道を紹介出来ればと思います。

JR田浦駅
JR田浦駅にある有名な七釜(しっかま)隧道。左から順に昭和18年、明治22年、大正13年竣工。一番新しい昭和の隧道は引き込み線用に造られたもので現在は使われていない
Takeching
Takeching


横須賀市在住。市内にある路地裏から谷戸、裏山まで、おもにマイナーな道を愛犬とともに散策するのが日課。特に住宅街にある裏山の隠れた尾根道が好物。
東京都小金井市出身

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