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【三崎口】和田の里めぐり第2弾! 和田義盛ゆかりの寺社

前回に引き続き、和田の里周辺の散策です! 今回は和田の里内にある、和田義盛(わだ よしもり)ゆかりの神社・お寺です。

和田義盛の死に深く関わる場所なので、まずざっくりと義盛の最期の話をしましょう。

和田合戦

源頼朝の死後、政治の実権を握っていたのは、北条氏ですが、それに最も反感を持っていたのが和田一族です。その不満が大爆発したのが、建暦3(1213)年。

和田一族の若者たちが結束し、北条氏を倒そうと密かに画策していました。ところがそれは早々に露見して若者たちが捕まってしまいます。

義盛は慌てて、若者たちを許しを得ようと奔走しますが、執権の北条義時はますます和田一族を煽りました。若者たちは怒りが収まらず、義盛はついに暴走を止める事ができませんでした。

5月2日の夕方、和田は北条氏の屋敷を襲い、戦が始まります。それが「和田合戦」です。戦は翌日まで続き、義盛が討ち取られて戦は終わりました。

しかし義盛は、その人柄から将軍や周りの御家人からも好かれていました。当時の領民はもちろん、現在でも多くの人々に愛される武士です。

そんな義盛を慕う人々の想いが見て取れるスポットを巡ってみましょう!

今回のお散歩ルート

初声_和田義盛ゆかりの寺社 - Google My Maps

前回と同じく、三崎口駅からバスに乗り、和田バス停で下車します。

和田バス停で下車して後ろを向くと横断歩道が!

今回は、横断歩道を渡って向こう側に行きますよ!

白旗神社

横断歩道を渡って、左へ
一つ目の角を右に

ずんずん進んでいくと、左側に白旗(しらはた)神社への階段が見えます。白旗神社は和田義盛が祭神となっている神社です。

義盛の死からちょうど50年経った弘長3(1263)年、和田の里の人々が義盛を偲んで建てたと言われている神社です。ご神体は義盛の銅像だといわれていますが……当然、中身を見る事はできません。

白旗神社への階段

見るからに急勾配……。まるで「俺に挨拶したきゃ登って来いよ」と言わんばかりです。さすが坂東武者の親分!

が、実は抜け道もあるんですよ。実際に来て階段を見て、ちょっと怖いなぁと思ったら、来た道を振り返ってみてください。

左の平坦な道が来た道。

Y字路の右、坂を登りましょう。

坂を登るとこんな道

坂を登ったら、右の脇道に入りましょう。

曲がると……

また右に細い道が奥に続いているので行ってみましょう! その先が境内です。

白旗神社の狛犬

ちなみに、ここの狛犬、メッチャ可愛いので注目です! 特に犬好きの皆さん、仔狛犬の仔犬っぷりを見てください……! 足が太くて、骨太で固太りしていて……大型犬の仔犬ですよ、これは!

思わずモフりたくなりますが、残念ながら感触は石ですね。冷たい石……。

ちなみに、白旗神社は無人の神社ですが御朱印は三浦海岸からバスに乗って行く白山神社にあります! (詳しくは三浦義村の墓の記事にて!)

名前白旗神社
住所三浦市初声町和田1746
管理神社白山神社 公式Twitter @m_hakusanjinja

天養院

さて、白旗神社を後にしたら、来た道を戻って大通りに出ます。大通りを出たら左へ真っすぐ進むと、天養院(てんよういん)です。

途中、この坂を登ると天養院の裏口。
もうちょっと先にある、右ナナメ後ろへ行く道へ入ると表口です

天養院は永禄2(1559)年に、鎌倉にある浄土宗関東総本山・光明寺(こうみょうじ)の末寺として開山しました。

本尊の薬師如来は奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)の作と言われていますが、実際の作風から考えると平安時代中期頃のもの考えられています。

元々は和田城の鬼門を護るために建てられた安楽寺(あんらくじ)のものと伝わっていますが、現在安楽寺はありません。天養院までに来る途中にあるもう一つのお寺、大泉寺(だいせんじ)の向かい側にあったと伝わっています。

この薬師如来は、和田合戦の時に和田義盛の身代わりとなったという不思議な伝承があります。

合戦の時に義盛は矢が体中に刺さりましたが、痛みは感じませんでした。ちょうどその頃、この薬師如来に顔から胸にかけて傷ができて血を流した……というものです。

実際に薬師如来には額から腹にかけて、まるで刀傷のような割れ目があります。不思議ですね。

この薬師如来は、ご住職に頼めば見せてもらえることがあるそうです。天養院に事前連絡しておきましょう。

名前五劫山天養院
住所三浦市初声町和田1669
サイトhttps://miura-yakushi.jimdofree.com/temple-list/14-tenyoin/(三浦薬師如来霊場14番)

ちなみに、帰りのバスは和田バス停に戻るより、もう少し進んだ先にある「赤羽根(あかばね)バス停」の方が近いです。この「赤羽根」の地名も和田義盛絡みで、矢の羽を作っていた場所だといわれてます(和田にちなんだ地名はこちらもご覧ください)。

矢の羽といえば、白いものを想像しますが、昔の矢の羽はいろんな柄や色で染めていました。それで個人を識別して、敵に致命傷を負わせた矢は誰が放ったものかを判断していたそうです。義盛の矢の羽は真っ赤だったんでしょうね。とても目立ちそうです。

さらに+αのお散歩スポット

和田の里の史跡は以上になりますが、時間があれば帰りに赤羽根バス停から横須賀方面へ2つ目の小根岸(こねぎし)バス停で途中下車してください。

農産物の大型直売所「すかなごっそ」や、シラサギ・アオサギ・ウミウのコロニーが作られている、隠れ憩いスポット「轡堰(くつわぜき)」があります。お買い物や+αの散策にうってつけですよ!

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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