平安時代から三浦半島を支配していた三浦一族。その宗家は「三浦」を名乗っていますが、分家は区別するため別の苗字を名乗っていました。和田一族もそのひとつです。
和田義盛(わだ よしもり)は初代侍所別当(さむらいどころ べっとう)で、鎌倉幕府の軍事・警察機関の責任者です。
豪快な親分肌なイメージを持たれている人物で、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、ビッグベンこと横田栄司さんが演じることが発表されました。
そんな義盛が住んでいた和田の里におじゃましてみましょう!
和田の里の伝承
和田義盛は、三浦一族の長・三浦義明(みうら よしあき)の孫です。父は義明の長男、義宗(よしむね)。義宗は鎌倉の杉本城(現・杉本寺裏山)に居を構えていました。
長寛元(1163)年の秋、三浦一族は房総半島に拠点を構える長狭(ながさ)一族との争いが佳境となっていました。義宗は三浦一族を率いて長狭氏を攻めますが、返り討ちに遭ってしまい大怪我を負ってしまいました。
怪我の回復は芳しくなく、翌年の初めに亡くなってしまいました。義宗の長男である義盛はこの時まだ16歳。若すぎるため、三浦の跡取りは義宗の弟、義澄(よしずみ)に移りました。
そして義盛は、父がいた杉本城を弟の義茂(よしもち)に任せ、三浦の和田に移り住むことにしました。そこは当時三浦半島有数の穀倉地帯でした。戦になるとここで採れた食料を戦地に輸送していたと言われています。
空腹に弱い和田義盛
そういえば和田義盛のエピソードにはこんなのもあります。
源平合戦の時、平家を追って西へ西へと進んでいた源氏軍。しかしだんだんと食料が尽きてしまいました。十分な食事をとれなくなって士気低下が著しい。そんな中、和田義盛がこう言いました。
「ハラ減ったから、何か食いに相模に帰る!!」
現代から見れば笑い話ですけど、源氏軍を率いてた大将は頭を抱えたそうです。でも自分の領地が食料をいっぱい取れる穀倉地帯なら……お腹が空いて、恋しくなって、帰るって言っちゃう気持ちもちょっとわかりますね。
和田義盛と巴御前
木曾義仲(きそ よしなか)の愛妾・巴御前。その名前はきっと誰もが聞いた事があるでしょう。木曾義仲が討たれた後、巴御前は鎌倉幕府の捕虜となってしまいました。
そんな彼女に一目ぼれした和田義盛。「巴御前と俺の子どもなら、きっと強い子ができる。その子を鎌倉幕府に仕えさせる!」といって、結婚しました。そして和田城で、義盛と巴御前が仲良く暮らしましたとさ、という伝承があります。
巴御前自体が『平家物語』でしか確認できない人物なので、巴御前と結婚したという話はちょっとマユツバです。が、普通に奥さんと一緒に仲良く暮らしていたんでしょうね。
今回のお散歩ルート
京急三崎口駅に到着したら、3番のりばからバスに乗り、3つ目の和田バス停で下車します。だいたい20分から30分ぐらいのルートです。
バスに乗ったら途中のバス停名や周辺の地名にも注目してください。
「矢作(やはぎ)」は名前のとおり、矢を作るための竹やぶがあった場所でした。「木戸脇(きどわき)」「出口」などは和田城に関連した地名です。
和田義盛の里旧蹟
和田バス停でバスから降りたら、横断歩道を渡らずに、右に曲がります。

すると左に和田義盛の碑が見えて来ます。ここがかつての和田の里でした。

ちなみに、ここの現代の地名は初声(はっせ)といいます。昔の祝いの歌舞に『初声』というものがありました。源平合戦から帰って来た和田義盛が領民を集めて宴を開き、『初声』を歌い踊ったことが由来です。
和田城跡
和田の里から歩いてすぐの二股道を左に行き坂を登ります。

登り切ると開けた台地に出て、一面の畑が目の前に広がります。

この一帯にかつて和田城があり、和田義盛が住んでいました。平安~鎌倉時代には三浦半島有数の穀倉地帯に、現在も広大な畑が……! 義盛も里の畑仕事を手伝ったんでしょうか。
といっても、現在はただ畑と住宅地です。この風景だけで何十分も佇んで感慨に耽られるのは、コアなオタクだけであると、コアなオタクである私は心得ています。
というわけで、和田城址の石碑がある場所へ向かいましょう!

真っすぐ行った先の十字路を左に曲がります。

坂道を下り、校門の前を通って、ズンズン進むと……。

左手にポンと現れる和田城址碑!!
ちなみにこの道をさらに真っすぐ進むと和田海水浴場に出ます。海水浴ではない季節でもキャンプやバーベキューに多くの人が訪れて、学校などが利用する合宿所もある人気の野外アクティビティスポットです。
車の行き来が激しく、歩道もありません。見学や写真撮影をする時は十分気をつけましょう!

和田義盛の城
和田義盛はかなり大きな力を持っていて、全国に所領や別荘が点在しています。
そのため、和田義盛の本拠地はどこだったのかという議論がたびたび起こります。県央や千葉県がよく候補にあがりますが、私はやっぱり三浦半島の和田だと思いますね!
今は静かな住宅街ですが、目を閉じれば波の音の中に賑やかな和田の里の祭囃子が聞こえてくるかもしれません。