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【金沢八景】鎌倉時代の幹線道路『大道』を行く

鎌倉時代の横浜市金沢区は、大きな船が入る港町でした。そのため、金沢の港と鎌倉を繋ぐ幹線道路が作られました。それが、地名にも残っている「大道(だいどう)」です。

今回のお散歩ルート

金沢八景_大道 - Google My Maps

金沢八景駅から国道16号を南下し、県道23号を行きます。

歩いても行けるし、バスに乗って行くのもよし! 最近は金沢八景駅に「HELLO CYCLING」のレンタルポートもできましたので、自転車で行くのもおススメです!

上行寺東遺跡

金沢八景駅を出て大通りを南下すると歩道橋があります。そこを曲がって高架下を抜けると「上行寺(じょうぎょうじ)東遺跡」の入り口があります。

上行寺東遺跡入口

階段を登った先にあるのですが、めっちゃ急です。

真夏に行くのはちょっと後悔するレベル
上行寺東遺跡

ドーーーンと現れる遺跡! ……しかし、実際訪れると違和感を覚えるでしょう。これは岩ではなくレプリカ。特殊なセメントでできています。

ここはやぐら(鎌倉時代の墓所)と建物の遺跡で、源頼朝と文覚が建てた浄願寺(じょうがんじ)ではないかと推測されています。浄願寺は南北朝時代に吉田兼好が庵を結んでいました。しかし室町時代には廃寺となり、龍華寺(りゅうかじ)に移転しました。

龍華寺についてはこちらの記事も参考に。

上行寺

遺跡を降りてすぐ隣には「上行寺(じょうぎょうじ)」があります。

こちらは鎌倉時代中期頃の僧、日蓮上人ゆかりの寺です。元々は真言宗の寺で「金勝寺(きんしょうじ)」という名前でした。

鎌倉時代末期頃、六浦湊(むつらのみなと)の大商人だった六浦平次郎景光という人が、日蓮宗に帰依して出家し、自宅に浄行寺を開いたと言われています。

断片的な伝承ですが、平安時代~鎌倉時代初期頃の六浦周辺は三浦一族(和田氏)のゆかりの地なので、六浦氏も三浦一族ゆかりの氏族かもしれません。

小泉又次郎誕生地碑

浄行寺からひたすら真っすぐすすみ、大道小学校を通り過ぎるとローソンがあります。その陰にひっそりと「小泉又次郎誕生地碑」があります。

小泉又二郎は、元内閣総理大臣・小泉純一郎氏の祖父です。三浦一族とはあまり関係はありませんが、横須賀に本拠地がある地元に強い政治家一家という所に、若干三浦一族みを感じています。

宝樹院

ローソンの先、三つ目の角を曲がると「宝樹院(ほうじゅいん)」というお寺があります。

宝樹院入口

宝樹院(ほうじゅいん)は、現在の六浦駅付近にあったお寺でしたが、炎上してしまい、江戸時代にここに移転しました。

詳しい縁起は不明ですが、平成3(1191)年に宝樹院のご本尊「阿弥陀三尊像」を修復したところ、宝寿院の崖下にあった「常福寺(じょうふくじ)」のご本尊だったことが判明し、その常福寺は久安3(1147)年に建立したこともわかりました。

……久安3年というと、源頼朝や和田義盛の誕生した年です。元々、大道を掌握していたのは和田義盛の父・杉本義宗であることを考えると……。三浦一族にも何か関りがあったのかもしれません。

鼻欠地蔵

さらに先に進むと、「大道中学校前バス停」の近くに、ボコっとせり出した崖があります。これはかなり風化していますが、元々は大きな地蔵が掘られていました。

これにはこのような民話が伝わっています。

昔々、大道は相模国と武蔵国の境目で、その境界線をめぐって村で争っていた。そこでとあるお坊さんが崖に地蔵を彫り、この地蔵の鼻の先からこちらが武蔵国、あちらが相模国と決めました。

しかし、村人たちはそれでも争いをやめません。この状況に悲しんだお地蔵さまは、自ら鼻をもいでしまいました。それを見た村人たちは、反省して争いをやめたそうです。

鼻欠地蔵|横浜市金沢区 横浜金沢観光協会
鼻欠地蔵のご紹介。神奈川県横浜市金沢区:横浜金沢観光協会では地元金沢区にある多くの歴史的・文化的資産&豊かな観光資源を有効に活用し「地域から発信する観光のまち金沢」の実現に向け、様々な事業を展開しております。

現代では鼻どころか全身欠けてしまっています。いつ作られたのかはわかりませんが、とても長い間、この地域の人々に親しまれていました。

ちなみに、鼻欠地蔵の横の小路は、白山道へと続きます。

上総介塔

鼻欠地蔵を通り過ぎると、相模の国。少し坂を登るとポツンと五輪塔があります。これが「上総介塔」

令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で佐藤浩市さんが好演した「上総広常」の墓と伝わる塔です。上総広常の屋敷の1つがこの付近にあったと言われています。

ちなみに、上総広常の弟・金田頼次が三浦義明の娘と結婚していて、三浦半島の金田に住んでいました。上総介もこうして三浦の領域に近いところに屋敷を構えているのは、やはりなんらかの縁があったんでしょうか。

三浦市金田には、現在三浦義村の墓が残っています。

プラスのぷらり

上総介塔の向かいに、「朝比奈切通し(あさひな きりどおし)」の入り口があります。

鎌倉への5つの出入り口の1つで、和田義盛の息子・朝比奈三郎義秀が切り開いたという伝説があります。

朝比奈三郎は和田義盛と巴御前の間に生まれた子どもだという伝承があります(資料的には年代の整合性がとれないので事実ではないと考えられます)。

抜けた先には、梶原景時が上総広常を討った時に太刀を洗ったという伝承がある「大刀洗(たちあらい)」の滝や、梶原景時の屋敷跡が残る十二所(じゅうにそ)があります。

そこまで険しい道ではないので、ハイキング感覚でチャレンジしてみましょう!

自転車の場合は、もう少し先の朝比奈峠から鎌倉に抜ける事ができます。鎌倉駅周辺にも「ハローサイクリング」のレンタルポートがあるので、乗り捨ても可能ですよ。

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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