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【浦賀】渡し船でぷかぷか東西叶神社参拝

令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、強烈なインパクトを与えた市川猿之助さんが演じる怪僧文覚(もんがく)。実際でもなかなかエキセントリックなエピソードが多い人物ですが、その反面、徳の高いエピソードもある人物でもあります。

彼の悲願は京都の神護寺(じんごじ)という由緒あるお寺の再興。そして全国各地の荒廃した寺社の復興に協力していました。鎌倉付近では江の島神社が文覚によって復興しました。そして文覚のお世話になった寺社は三浦半島にもあります。それが浦賀にある「叶(かのう)神社」です。

東西の叶神社

叶神社は浦賀村の総鎮守です。江戸時代の元禄5(1695)年、幕府の区画整理で浦賀村は湾を隔てて東浦賀村と西浦賀村に分かれました。元々西岸にあった叶神社ですが、東岸にも叶神社を分霊して、東西で同等の叶神社として信仰をしました。

時代が移り変わっても、人々の想いは変わらないんですね!

今回のお散歩コース

浦賀_東西叶神社 - Google My Maps

今回は、京急久里浜駅からバスに乗って、西叶神社。そして「浦賀の渡し船」に乗って東叶神社を目指します。

京急久里浜駅から1番乗り場で「浦賀駅行き」に乗車。「紺屋町(こんやちょう)」バス停で下車すると、目の前にあります!

紺屋町でバスを降りたら目の前!

西叶神社

西叶神社は、東西に分かれる前からここに鎮座していた神社です。文覚上人は源頼朝に打倒平家を促した1人ですが、平家を倒して源氏再興を祈願するため、房総半島の鹿野山(かのうざん・千葉県君津市)に籠りました。その時、源氏の守り神である八幡神に「源氏再興が成就したら、あなたの社を建てて末永く祀ります」願いました。

頼朝が打倒平家に立ち上がると、文覚上人は約束通り八幡神の社を建てるのに良い場所はないかと探しました。そして翌年の養和元(1181)年、鎌倉にも近く、鹿野山の対岸に位置する浦賀に建てようと決めて社を建て、平家滅亡後の文治2(1186)年に大願が叶ったので「叶神社」と名前をつけました。

現在の社は江戸時代、天保13(1843)年に建てられたものです。当時における最高技術が施され、社の彫刻は横須賀市文化資産に指定されています。

浦賀の渡し

西叶神社を参拝を追えたら、鳥居を出て右に進みましょう。

鳥居を出たら右へ

横断歩道を渡った先が、浦賀の渡しの船着き場です。

西岸の船着き場は階段を降りた先

浦賀の渡しは朝7時~17時で毎日運航中!
約3分間の船旅です。

ちなみに浦賀の渡しは、令和4(2022)年4月1日から運営会社が変更になります。横須賀市民ではない人は、料金が変わるので注意しましょう。

浦賀の渡し公式運航状況Twitter:https://twitter.com/uraganowatasi

東叶神社

浦賀の渡しの東岸についたら、あとはひたすら真っすぐ進みましょう!

真っすぐ行って突き当りに東叶神社が見えてきます。

東叶神社
階段の途中にあるソテツは、源頼朝御手植えと伝わる

東叶神社の裏山は、県指定天然記念物に指定されています。実は本殿は山の上にあるので、体力と時間に余裕があれば是非、奥の院まで参拝してみましょう!

山の上続く階段

帰りは、渡し船乗り場まで引き返し、右に曲がって真っ直ぐ。

浦賀の渡し東岸船着き場

大通り沿いの駐車場の端っこに、新町(しんまち)バス停があります。そこから浦賀駅に戻れます!

新町バス停

ぷらすのぷらり

時間があれば、すぐ近くにある「乗誓寺(じょうせいじ)」参拝がおススメです。

乗誓寺を開いたのは「曽我兄弟の敵討ち」で有名な曽我兄弟の兄、曽我十郎祐成(そが じゅうろう すけなり)とその恋人虎御前の子と伝わる了源という人です。

了源は親鸞に弟子入りし、平塚に寺を建てました。しかし時が経ち、応仁の乱(1467年)の頃、京都では本願寺派の弾圧が始まり、その波が関東地方まで押し寄せます。そこで当時の住職がこの浦賀の地に寺を移してきました。

曽我兄弟の母は、三浦義澄の妻と姉妹です。そのため兄弟が鎌倉に出仕するときは三浦の矢部にいる叔母の家に泊まっていたという話が『曽我物語』にもあります。その200年後に、曽我兄弟の子孫がまた三浦の地を頼って来たと考えると、縁を感じますね。

乗誓寺公式サイト:https://www.jyouseiji.com/

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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