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【三浦海岸】三浦義村公墓ほか・岩浦バス停周辺の三浦一族史跡巡り

三浦半島には、平安時代から戦国時代まで、一帯を支配していた「三浦一族」という武士の一族がいました。2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、その三浦一族の全盛期と言える時代を扱います。

三浦一族全盛期を担った三浦の棟梁、三浦義村(みうら よしむら)を、山本耕史さんが演じる事も発表されました!

そこで、私の記事ではNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の聖地となりうるスポットを紹介していきましょう!

まずは「三浦義村公墓」! いきなり人生の終着点である墓ですが、やはり歴史上人物ゆかりの地に行くなら、お墓は欠かせない巡礼スポットですよね!

今回のお散歩ルート

三浦海岸_三浦義村の墓 - Google My Maps
三浦海岸_三浦義村の墓

三浦海岸駅から、義村の墓がある岩浦(いわふ)バス停は約15分。目的地はバス停の目の前にあります。周辺には、義村が建立した福寿寺や、人気のレストランKANEDAもあり、お昼ご飯と食後の散歩にはぴったりなお散歩スポットです。

三浦義村とは?

三浦義村は、鎌倉時代初期に、幕府を支えた有力武士。冒頭で紹介した通り、三浦一族の全盛期を支えました。源平合戦では父と一緒に参戦し、父と頼朝の死後は三浦一族の長として、執権(しっけん=将軍補佐役)の北条義時(ほうじょう よしとき)の協力者となります。

彼の政治力はすさまじく、京都の公家でさえ義村の事を稀代の謀略家として恐れるほどでした。

そんな義村の墓がなぜ、三浦一族の本拠地であり、先祖たちの墓のある衣笠とは遠く離れた金田の港にあるのか。それはここからの景色が義村のお気に入りだったからと言われています。

晴れた日には房総半島が一望できる風景に、800年前の面影を探してみましょう!

三浦海岸駅からのバスの旅

三浦海岸駅の改札口を出て右に、バスロータリーがあります。

京浜急行「三浦海岸」駅の改札を出たところです。頭上には駅と線路がある高架が通っています。
三浦海岸の改札口前

岩浦バス停を通るのは「海34系統」と「海35系統」。2番のりばです。

三浦海岸駅前の2番バス停。三浦海岸系統34(剱崎行き)・35(三崎東岡行き)のバスが出ています。

可能ならば是非左側の席に座ってください! この路線は三浦半島の東海岸をぐるっと半周するので、左側に海が、天気が良ければ房総半島まで見渡せます。

バスの車窓から眺める三浦海岸の写真です。駐車場越しに砂浜と海、対岸の房総半島が見えます。
美しい三浦海岸

運が良ければ、砂浜を駆ける馬も見られるかも!

三浦には乗馬クラブや流鏑馬の団体があるので、たまに車道を闊歩する馬や練習風景に出くわします。その姿に、武士の姿を重ねるのも、なかなかオツなものです。

岩浦バス停→三浦義村の墓

岩浦バス停で降りたら、後ろの横断歩道を渡りましょう。

岩浦のバス停で下車し、来た道を振り返ったところです。すぐ北に横断歩道のある交差点があり、左手先にはこんもりとした丘が見えています。丘の手前には両脇に手すりのある階段があるのが見えます。
バスで来た道を振り返ると横断歩道が……

目の前の階段が三浦義村の墓の入り口です。

階段のわきにある擁壁には、ペンキで「三浦義村の墓」と白く書かれています
入口はとてもわかりやすい!

それを昇ると、ちょっとした広場に出て、さらに階段を昇ります。

階段を上り、開けた場所に出たところ。左手にはさらに上に登る手すりのない階段が見えています。階段のある丘の中腹には小さな赤い鳥居が見えます。
ちょっとした広場をさらに上る

左に行けば新墓、右に行けば旧墓です。

ふたつある三浦義村の墓所を並べた画像。左が新しい墓で、河原を積んだ塀に囲まれて石塔が建っています。手前には石灯籠が見えます。右は古い墓で、関東大震災で崩壊したものを復元しています。
どちらも「三浦義村の墓」です

なぜ墓が二つあるかというと、大正12(1923)年の関東大震災の時に崖下に落下して海に落ちてしまったからです。『新編相模風土記稿(しんぺん さがみ ふどきこう)』によれば、旧墓は元々、高さが2.3mもある立派な五輪塔でした。震災後に比較的形が残っていた2つの石を引き上げて積み上げたものがこの旧墓です。

ちなみに五輪塔の墓は鎌倉時代の鎌倉周辺でよく見られるため、「鎌倉幡五輪塔」とも呼ばれます。

旧墓の姿が変わってしまったため、その後地元の有志によって新しい立派な墓が建てられました。

新墓の隣にある「八坂(やさか)神社」は、金田村の古文書によれば、三浦義村の守本尊(まもりほんぞん=守護神)とのこと。

八坂神社の鳥居の写真。奥に赤い社殿が見えています。
御朱印は、5つ前のバス停名にもなっている「白山神社」で頂けます

ちなみにお墓の敷地内は、現在は藪が生い茂っています。隙間から海は覗けますが、「義村のお気に入りの景色」を写真におさめるのは難しそうでした。

福寿寺

続いて義村が建てたお寺、福寿寺(ふくじゅじ)に向かいましょう! 義村の墓の階段を降りて、そのまま真っすぐ進みます。

義村の墓所ふもとの道をまっすぐ行った所にある交差点の写真。
ここを右に……

自販機の角の右に曲がって突き当りを左に向くと福寿寺があります。

福寿寺の入り口。向かって左側に手すりのついた石段があります。その奥には少し平坦な道があり、さらに段数の多い階段に続いています。2つ目の階段は右手に手すりがあります。
福寿寺の入り口

三浦義村が、建暦2(1212)年に建てたお寺です。鎌倉時代に興った禅宗である臨済宗(りんざいしゅう)のお寺です。

本尊の聖観世音菩薩像は奈良時代の僧である行基(ぎょうき)作と伝わっていて、義村が信仰していた地蔵菩薩も祀られています。

この2つの像はそれぞれ三浦33観音・三浦地蔵尊38霊場となっています。観音像は丑年と午年、地蔵は卯年の4月中旬~5月中旬に開帳します。ちなみに今年、令和3(2021)年は丑年で、本来なら観音像が開帳する年ですが、新型コロナウィルス感染防止のため、来年以降に延期となりました。

寺の入り口には庚申塔(こうしんとう)が並び、椿の木も植わっています。椿は義村の母が好んでいた花らしく、一族の家には目印に椿を植えるようにと言っていたらしいです。

レストランKANEDA

金田漁港にあるレストラン『KANEDA』は、朝に獲れた新鮮な魚が自慢の定食屋。穏やかで美しい海を眺めながら、まったりとランチタイムを過ごせるスポットです。

リーズナブルかつボリュームたっぷりの地魚定食は、県外からもこれを目当てに来る人がいるほどの人気があります。

KANEDAの建物外観。白い壁に、木彫りの大きな魚の像がつけられています。
近づくと美味しそうな魚料理の匂いが……!
店舗情報レストランKANEDA
営業時間11:30~14:45
日曜日は6:00~8:00
定休日月曜日

三崎港にも足を延ばしてみる?

今回紹介したスポットは、それぞれが徒歩でも2.3分ほどしか離れていないので、もう少しゆっくりできるのなら、さらに三崎港までバスで行ってみましょう!

岩浦バス停から三崎港までは約30分ほど。途中には黄金のサバで有名な「松輪(まつわ)漁港」、穏やかな水面と水生生物が集まる隠れ絶景スポット「江奈(えな)湾」、のどかな風車の風景が広がる「宮川公園」があります。晴れた冬の日にはバスの中から正面に富士山もドーンと見えてきますよ!

京急の「三浦半島1DAYきっぷ」や「みさきまぐろきっぷ」で途中下車の旅もおススメです。

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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