初めまして。横須賀ぷらから通信です。

【東逗子】三浦と金沢の境界。沼間の古刹を探検!

JR東逗子(ひがしずし)駅がある、沼間(ぬまま)と呼ばれる地域は、かつては沼地ですぐ近くまで海があったそうです。そして三浦一族のお抱え鍛冶集団「沼間鍛冶」があった所で、いわゆる「相州伝(そうしゅうでん)」と呼ばれる鍛冶集団の原型にもなりました。

しかしこの辺りの古い記録はとても少なく、沼間鍛冶の事もこの辺りにあった武士の屋敷の事も詳細はわかりません。けれどその断片を感じられる古刹を巡ってみましょう!

今回のお散歩ルート

東逗子_駅周辺の古刹 - Google My Maps

最寄り駅はJR東逗子駅ですが、JR逗子駅、逗子・葉山駅、JR田浦駅・京急田浦駅からバスで行く事もできます。

今回は逗子・葉山駅からバスに乗って行きました。

乗るバスは「田浦駅行き」もしくは「グリーンヒル行き」です。JR逗子駅の場合は駅前のバスターミナルから乗りますが、逗子・葉山駅からの場合はバスターミナルから離れた場所にあるバス停なので少し注意です。

北口改札を出て、階段を降りたら右に行きます。

逗子・葉山駅北口

その先の踏切と橋を渡って真っ直ぐ進むとバス停があります。

逗子・葉山駅バス停

ここから「グリーンヒル行き」か「田浦駅行き」に乗って「宮の下バス停」で下車します。

もし間違えて「葉桜行き」や「イートピア行き」に乗ってしまったら「逗子警察署前バス停」で下車して、逆ルートで回りましょう! ちなみに東逗子駅スタートも逆ルートです。

法勝寺(ほっしょうじ)

宮の下バス停に到着したら、後方に向かいます。

宮の下バス停

バスから降りたら、後方へ向かいすぐの曲り角を右へ。

セブンイレブンの横に入って
踏切

踏切を渡って道なりに真っ直ぐ行くと、二股の別れ道につきます。右へ行けば法勝寺、左へ行くと京急線神武寺駅の由来となっている神武寺です。

わかれ道

ちなみに神武寺から反対側にある神武寺駅に抜けることもできますが、山を越えることになるので今回は行きません。

法勝寺の入口

法勝寺には幼稚園があり、境内は幼稚園と共有されています。入り口にはヤギが飼われていて来訪者を見守っていました。

法勝寺の縁起

法勝寺の創建は奈良時代。三浦半島の古いお寺ではお馴染みの行基(ぎょうき)縁の寺です。元々は善応寺(ぜんのうじ)という名前でした。2回の改名ののち、現在は日蓮宗の法勝寺となっています。

この辺りには沼浜亭(ぬまはまてい)という屋敷があり、源頼朝の父である義朝(よしとも)が三浦一族と話し合いをする場として使われていました。

しかし鎌倉時代に入り頼朝が亡くなった後、北条政子によって屋敷は鎌倉の亀ヶ谷(かめがやつ)に移転し、どこにあったのか正確な場所は今ではわからなくなっています。

教えて、お尻が可愛いヤギさん。

光照寺

法勝寺を後にしたら、つきあたりを右に進みます。

わりと車通りが多いので気をつけて!

橋を渡った先にある十字路を右に曲がると光照寺(こうしょうじ)です。

いかにも武士の屋敷があったっぽい名前の橋
ここを右
光照寺

光照寺の縁起

光照寺は、頼朝の長兄である義平(よしひら)の菩提寺であると伝わっています。義平の母は三浦一族の娘であるといわれていて、三浦一族は義平の後ろ楯となっていました。

父である義朝が京へ帰った後も義平は坂東に残り、三浦一族と供に、各地へ領地争いに出ていました。

義平が19歳になった時京で義朝が平清盛に戦をしかけ、義平は坂東の精鋭をつれて参戦します。その中には若き頃の三浦義澄の姿もありました。

結果としては義朝は戦に負け、討死。義平は捕えられて斬首され、頼朝は伊豆へ流罪となります。

光照寺は義平の菩提を弔うために建てられたと伝わっていますが、光照寺の古い記録が残っていないため、正確なことはわかりません。菩提寺ならば墓碑や位牌、持念仏などがあるかと思えば何もなく、住職も伝承以上の事はご存知ない様子です。

荒神社

光照寺を後にして、十字路をまっすぐ行って大通りでも良いですが、あえて右に行きましょう!

十字路を右に

実はこの通り、昔は逗子から金沢へ抜けるメインストリートでした。道沿いには寺が多いので「寺道」と呼ばれていました。

道を突き当たって踏切を渡ると東逗子駅です。駅前の十字路を右に曲がりましょう。

右へ

真っ直ぐ進むと、ヨークマートが見えてきます。

ヨークマート

ヨークマートの一角にある小さな神社が荒(こう)神社です。

荒神社。手前は椿の木

荒神社の縁起

この小さな社に祀られているのは、三浦義澄の妻で、三浦義村・胤義兄弟の母である矢部尼(やべのあま)です。

矢部とは横須賀市の矢部のことで、三浦一族の本拠地です。一族の長の妻であり、母である彼女はそこに住んでいたので矢部尼と呼ばれていました。

なぜ東逗子に神が社あるかというと、江戸時代にはここに矢部という一族が住んでいました。おそらく、横須賀の矢部から移住したのでしょうか。村一番の田畑の持ち主で、この荒神社は家の守り神だったようです。

時代の流れとともに矢部家の屋敷は無くなりましたがその守り神は今もこうしてヨークマートを見守っています。

川のそばにあるのも、椿の木が植えられているのも、矢部尼の教えの通りです。

それから「荒神社」というのも示唆的です。本来、荒神社は主に西日本に多く見られる、屋敷や家事の守護神に対する信仰ですが、なぜ矢部尼を祀る神社が荒神社なのか。

それは義澄亡き後も三浦一族を守ったという実積だけでなく、義澄のあだ名が「荒次郎」なのも理由なのではと個人的に思います。

シェアサイクルでぷらっと

実は逗子市では、2022年3月末まで実験的にシェアサイクルをしています。逗子・葉山駅前、東逗子駅前、ヨークマート前にもシェアサイクルポートがあるので、前回の駅チカ史跡と合わせてサイクリングでぷらっとめぐるのもオススメですよ!

逗子市シェアサイクル

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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