三浦一族の城と言えば「衣笠城」ですが、衣笠城は住居用の城ではありませんでした。日々の鍛錬の場であり、三浦一族の思い出と誇りの場所です。
では三浦一族はどこに住んでいたかというと「矢部郷」。現在の大矢部・小矢部の地域です。実はそこにも大矢部城・小矢部城があります。
詳細はほとんど不明ですが、三浦一族に関係の深い城でしょうから、探しに行ってみましょう!
今回のお散歩コース
今回はJR衣笠駅からスタートします。駅前の商店街は大河ドラマの影響か、三浦一族関連に力を入れてますね。

商店街に寄り道しつつ、抜けた先にある衣笠十字路を右に曲がります。

小矢部城
小矢部城は衣笠城の支城の1つ。和田義盛の家来の城だったと言われていて、それ以上のことはよくわかっていません。
バス停を通り過ぎた先、左に曲がる小路に入ります。

さらに右に曲がって細い坂を登ります。

地図によると、この小山の山頂に小矢部城があるらしいのですが……。現在はマンションが建っています。駐車場から山に入れそうな気もしますが……。

スニーカーで突入するには、あまりにも心もとない雰囲気……。
どうやらマンション自体が城跡の地形を利用して建てられているって感じがしますね! 山の上が平らな台地になっているのも、城を作るのに適した地形っぽい。
近くには「小矢部一丁目公園」というベンチと遊具があるだけの小さい公園がありますので、そこで一休みして、衣笠十字路バス停からバスに乗ります。(編集部注:少し先に進んで「衣笠山公園」バス停から乗車することもできます。)
金子十郎家忠陣屋跡
衣笠十字路バス停から、「長井行」や三崎方面に行くバスに乗り、「金子バス停」で下車。

向かいのファミリーマート裏手に、「金子十郎家忠(かねこ じゅうろう ただいえ)陣屋跡」があります。

金子家忠は三浦一族ではなく、武蔵国の村山党の人です。保元・平治の乱では源義朝・義平と共に戦いました。いわば三浦義澄の同僚ですね。
伝承では、三浦義明の末弟岡崎義実(おかざき よしざね)の息子・佐奈田義忠(さなだ よしただ)と、武蔵国秩父党の畠山重忠(はたけやま しげただ)の烏帽子親と言われています。
そんな金子さんは同じ武蔵国の武士として、源平合戦では畠山重忠と共に衣笠城に攻め入りました。その時に建てた陣屋跡が、ここです。
その戦いぶりは21本の矢を受けても引かず、三浦義明も感嘆したとか。最終的には顎に和田義盛の矢を受けて退却します。
しかしその後も生き続け頼朝の御家人となり、佐原義連と共に義経の搦め手軍に従軍し活躍しました。
衣笠城合戦の時は敵方でしたが、こうして史跡が残っているということは、本来は気のいい愛されキャラだったのかもしれませんね。
編集部注:ファミリーマート裏の道を進み、階段を上ると山科台の住宅地があります。住宅に紛れてひと区画、こちらにも金子十郎家忠陣屋跡とある石碑が残っています。地図に場所を記載してありますので、足を伸ばしてみてください。
大矢部城
さて、陣屋跡の向かい側にある坂を登りましょう! この坂を登ると、「横須賀市営公園墓地」があります。

墓地と聞くと怖いイメージがあるかもしれませんが、結構整備されていて歩いていると気持ちいい場所なんですよ。

春は桜、秋は紅葉。天気がいいとピクニックしている人も見かけます。

正門方面に向かいます。

この駐車場に、大矢部城への入り口がある……んです、が!!

送電塔工事の為、2023年1月31日まで遊歩道に入る事はできません。せっかく三浦一族に注目が集まっているのに……残念!!
帰りはバスで北久里浜へ!
帰りは「大矢部4丁目バス停」か「大矢部3丁目バス停」で北久里浜駅へ行きましょう。
ちなみに距離的に近いのは大矢部4丁目ですが急斜面の階段があります。疲れているなら大矢部3丁目のほうがおススメですよ!(編集部注:本数は少ないですが「満昌寺」バス停から衣笠十字路もしくはYRP野比駅へ向かうこともできます。)
時間があるなら、衣笠城や満昌寺、佐原城や怒田城まで足を伸ばすのもよいかも!