初めまして。横須賀ぷらから通信です。

【逗子・葉山】葉山は見どころは海だけじゃない!山側をぷらり

葉山の史跡めぐり第4弾! 今回は山側ですよ!

今回のお散歩ルート

秋谷_三浦党ゆかりの寺社 – Google My Maps

「前田橋」バス停から歩く

前回の続きから行く場合は、芦名バス停から「逗子駅行き」。駅から向かう場合は、「大楠芦名口行き」「横須賀市民病院行き」「長井行き」「佐島マリーナ行き」に乗り、「前田橋バス停」で下車します。

前田橋バス停(下り)

バス停すぐの交差点を北に向かいます。

赤い矢印の方へ

まっすぐ行くと前田川にかかるお国橋があります。

お国橋

前田川河川敷には前田川遊歩道があり、散策や沢遊びができます。全長は1380mありますが、令和3(2021)年9月現在は土砂崩れによって、大楠山登山道から終点の尾形瀬端までは通行止めとなっています。

お国橋の上から

歩いたらとても気持ちよさそうですが、今回の目的地は橋を渡った奥です。

橋を渡ると、三浦半島のお土産でお馴染み、「新倉さんちの手作りジャム」の本店があります。

新倉さんちの手作りジャム秋谷本店

この日は残念ながら定休日でしたが、カフェで一服しつつ、三浦半島産の野菜・果物のジャムを吟味してみましょう!

新倉さんちの手作りジャム 公式サイト

突き当りを右に

新倉さんちを通り過ぎて緩やかな坂を登ると、「正行院(しょうぎょういん)」があります。

正行院

正行院は和田義盛が正治元(1199)年に建立した寺です。その理由は、なんと妻である巴御前の菩提寺として!

正行院

地域の伝承に野暮な事を言ってしまえば、以前の記事で巴御前が和田義盛の妻となったのは、史実である可能性は低いことを紹介しました。そもそも伝承によると巴御前は和田義盛の死後も生き続けて、99歳で天寿を全うしたはずで、義盛が巴御前の菩提を弔うのは伝承でも整合性がありません。

おそらく、本来の義盛の妻。近くの浄楽寺に義盛夫婦が運慶に作らせた本尊があることから、この妻の菩提寺ではないかな、と個人的に思います。

正行院公式サイト

「長柄交差点」バス停から歩く

長運寺

さて、バス停まで戻り、「逗子行き」に乗ります。次に降りるのは「長柄(ながえ)交差点」。長柄は、元々は鎌倉党で、三浦党に婿入りした長江義景(ながえ よしかげ)が住んでいた土地です。

長柄交差点バス停(上り)

バス停の後方にある交差点を曲がります。

矢印の方向へ

真っすぐ行くと、笠原商店があり、その向かいに「桜山古墳群」への入り口があります。

桜山古墳群入口

葉山と逗子の境にあり、現存する古墳では神奈川県内最大の前方後円墳です。古代からここに有力者が住んでいたんですね!

ここを通り過ぎて更に進むと、長運寺(ちょううんじ)の看板がある交差点につくので、案内通りに左に曲がります。

ここを左に

すると突き当りに長運寺が見えます。

長運寺

長運寺縁起

長運寺は、この地にやってきた長江景義が、三浦一族の象徴的な衣笠山の不動明王を分霊してもらって、先祖の鎌倉景政(かまくら かげまさ)と共に祀った事が由来とされていて、寺自体は室町時代に創建したようです。

三浦一族と自分のルーツである鎌倉一族、どちらも大切にしたい景義の思いを感じてみましょう。

長運寺公式サイト

仙光院

長運寺を出たら、左に真っすぐ向かい、通りに出ます。

門を出たら左へ
十字路を真っすぐ行くと通りへ
ひたすら真っすぐ
横断歩道を渡って真っ直ぐ
大通に出たら左に曲がって真っ直ぐ
マーロウプリン逗葉新道店

途中に、三浦半島西海岸名物のビーカープリン「マーロウ」のカフェがあります。一服してもよし、お土産を買ってもよし!

マーロウ公式サイト

そしてお墓のある丁字路を左へ。

ここを左に

すると仙光院(せんこういん)の入り口があります。

仙光院

仙光院縁起

室町時代創建のお寺で、三浦半島では珍しい人形供養やペットの法事を行っています。人間以外の家族も大切にしてくれるお寺です。

境内には「畠山(はたけやま)地蔵」と呼ばれる地蔵尊が祀られています。

これは源平合戦の時に三浦を攻めた畠山重忠が奉納したものだとされていて、元々は森戸神社の近くにある長徳寺(ちょうとくじ)に祀られていたものでした。しかしお堂が老朽化したため、平成15(2003)年に仙光院に移されました。ちなみに、長徳寺は三浦義澄の弟である、杜戸重行(もりと しげゆき)の屋敷跡と言われています。

畠山重忠は当初源頼朝や三浦一族と対立する立場にあり、三浦を攻めました。のちに頼朝が畠山重忠を仲間にするために三浦一族に「水に流せ」と諭したと言われています。三浦一族が重忠に敗走したのち、しばらく三浦半島を不在にしていた時期があります。このころのことは地元の伝承にも残っています。重忠が必要以上に三浦が荒らされないようにしていたとか、水路を整備したといった話があります。

近年の研究では畠山重忠の母は江戸氏であると言われていますが、私はやっぱり重忠の母は三浦義明の娘なんじゃないかなぁと思います。

母の故郷だから荒らされないように大切にしたのでは……? だからこそ重忠が三浦を攻めて義明が亡くなった事を、頼朝が「水に流せ」と言えたし、三浦もそれを飲み込んだんだと思います。

仙光院公式サイト

帰り道で+プラプラ

さて、三浦史跡めぐり葉山編はここでいったん終了です。

最寄りのバス停は、「長柄交差点」と「才戸坂上(さいどさかうえ)」、「イトーピア」があります。

一番近いのは「イトーピア」ですがバスは30分間隔、「才戸坂上」は20分間隔。どちらも結構な階段を上ります。(イトーピアの方が歩きやすいかも)

「長柄交差点」へは1㎞ぐらい歩きますが、大通り沿いを真っすぐ歩けば平坦な道ですし、バスも10分間隔なので、後は帰るだけなら、こちらをオススメします。

少し元気が残っているなら、「イトーピア」へ行ってみてください。途中にショッピングプラザ「HAYAMA STATION」があり、そこに入っている葉山旭屋牛肉店の葉山牛コロッケがおススメです。

SHOPPING PLAZA HAYAMA STATION公式サイト

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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