令和4年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も壇ノ浦の回を迎えました。冷酷さや非道さが際立つ中、安心感を与える役柄として、人気が出て来たのが「蒲殿(かばどの)」こと源範頼(みなもとの のりより)。
すこしネタバレしてしまうと、範頼はひょんなことから謀反を疑われ、伊豆の修善寺に幽閉されてしまいます。その後、自害したとも暗殺されたとも伝わっていますが……実は三浦半島には「源範頼が伊豆から逃げて来た」という伝説があります。
範頼が追われて逃げて辿り着いた浜……これが「追浜(おっぱま)」の由来です。
三浦と源範頼
なぜ源範頼が、三浦半島まで逃げて来たのか……それは範頼の別荘がかつて追浜にあったそうです。ではなぜ別荘が、三浦半島にあったのか……。そこまでは文献ではわかりませんでした。
でも、もしかしたら源平合戦の時に、三浦一族の多くが源範頼率いる大手軍に所属していた事が関係しているのかもしれないですね。
今回のお散歩ルート
今回は、追浜駅から北上して範頼の別荘跡→持念仏→お墓を巡ります。
しかしこのルート、バスはあるにはあるのですが、目的地がバス停から離れているという、バス網の穴です。追浜駅前の商店街の奥にある夏島緑地には、シェアサイクルの「ハローサイクリング」があります。

ちなみに現在の横須賀スタジアムのあるあたりは「鉈切」と呼ばれ、範頼が逃げて来た時、漁師が鉈を持って追っ手を切り伏せたことが由来であるとも言われています。ここには古墳時代の遺跡があり、古代の祭壇があったそうです。
薬師寺跡
追浜駅を北上し、「横浜南共済病院」の横を曲がりましょう。

道なりに進んだ先、突き当りにある「関東学院六浦小学校」のあたりに範頼の別荘があり、その敷地内に薬師如来を祀るお堂があったと言われています。

実際に行ってみると高台になっていて武士の屋敷があったとしたら、ピッタリの立地ですね! 往時には湾も一望できたでしょうし、景色も良かったことでしょう……。
伝承では、範頼は一時ここに身を潜めますが、鎌倉からの追手は振り切れないと観念してここで自害します。また、歴史の通りに伊豆の修善寺で殺された後、首をこの地に葬ったとも言われています。
範頼の別荘は薬師寺というお寺になりましたが、後に称名寺の近くに移転し「薬王寺」となりました。薬王寺は範頼の持念仏だった薬師如来を祀り、範頼の墓は当時新しく建てられた「太寧寺(たいねいじ)」に移転しました。
薬王寺に向かう
小学校を通り過ぎる形で高台から降りて、突き当りを右に曲がります。

真っすぐ進み、歩道橋の下を左に曲がります。

そのまま、歩道橋は渡らずに真っすぐ進み、金沢八景駅前の交差点を右に曲がります。

すると、瀬戸神社と琵琶島が見えてきます。

瀬戸神社と琵琶島
瀬戸神社は古代から海の守り神として信仰があった場所に、源頼朝が三島神社の神を勧請して創建した神社です。
そしてその向かいに位置する琵琶島には、北条政子が宗像大社から勧請した弁財天が祀られていて、頼朝を支えた政子にちなみ、夫が出世するとご婦人方の信仰を集めました。
瀬戸神社の宝物には、実朝の物だというお面があります。このお面を外に出すと雨が降ると言い伝えられていて、昔は雨乞の儀式にも使用されていました。
その雨乞いの儀式はちょっと変わっています。琵琶島にお面を祀り、村の若者が素潜りして口に咥えて取ってきたわかめを備えると言うものだったらしいです。
一体なぜワカメなのか……。そしてなぜ口に咥えるのか……。謎が謎を呼びます。
明治憲法発祥の地
琵琶島を通り過ぎ、横断歩道を渡って右に曲がります。

町のクリニックの前にぽつんと「明治憲法起草の地」という石碑が建っています。

実は金沢区、伊東博文の別荘があったり、そこで明治時代の憲法を作っていたりと、近代史クラスタにも垂涎の史跡めぐりの地だったりしますが、私は鎌倉時代クラスタなのでちょろっと触るにとどめておきます。
もう少し行くと、交差点にどでかく「憲法草創之處」という石碑がありますので、そこを左に曲がりましょう。

龍華寺
憲法草創之處の碑を曲がって真っ直ぐ進むと、龍華寺(りゅうげじ)があります。

頼朝が瀬戸神社を建立した後、文覚上人と一緒に建てた「浄願寺(じょうがんじ)」が始まりです。鎌倉末期には『徒然草』で有名な吉田兼好が庵を結んだと伝わっています。
しかし、室町時代になって戦や災害で浄願寺は荒廃してしまいました。もともとこの地にあった光徳寺(こうとくじ)の僧が復興するにあたり、浄願寺を高徳寺に合併移設し、龍華寺と名を改めました。
ちなみに浄願寺があった場所は定かではありませんが、環状4号線沿いにある「上行寺東遺跡」がそうではないかと言われています。
龍華寺を通り過ぎて、神社の分かれ道を右に行くと、薬王寺があります。

薬王寺
薬王寺は先ほど紹介したとおり、範頼の別荘跡にあった薬師寺を移転したもので、ご本尊の薬師如来は範頼の持念仏と伝えられています。

範頼の位牌もあり、範頼の命日である8月24日には毎年供養を行なっています。
金沢文庫と称名寺
薬王寺のすぐ近くには、金沢文庫と称名寺があります。北条氏の分家である金沢北条氏が創設した、武家の文庫としては最古の図書館です。称名寺も金沢北条氏の創建です。

元々、金沢区は和田義盛の領地であると考えられていて、和田合戦の後に北条氏の所領となりました。
金沢区は金沢北条氏がフィーチャーされがちなので、三浦推しとしては歯痒いですが、和田義盛の所領のままだったら金沢文庫のような貴重な資料満載の図書館ができたかと言うと……。正直複雑な感情ですね……。
太寧寺
さて、次は範頼の墓がある太寧寺に向かいます。

金沢文庫駅方面に向かいます。



太寧寺の縁起
太寧寺の創建は、昭和18(1943)年。範頼の墓があった場所は、飛行機工場を拡張するため、ここに移転しました。

太寧寺という名前は範頼の位牌にある戒名「大寧寺殿道悟大禅定門(たいねいじでんどうごだいぜんじょうもん)」から取られています。
寺宝として範頼の位牌や姿を描いた画像などがあり、境内には範頼の墓の他、同じく範頼が逃げて来たという伝承がある埼玉県北本市の東光寺(とうこうじ)にある「蒲桜(かばざくら)」が植えてあります。
プラスのぷらり
源範頼めぐりはここで終了ですが、足を伸ばして近くをぷらり。
近くには能見堂(のうけんどう)という景勝地があり、ここからの風景が「金沢八景(かなざわはっけい)」の由来と言われています。現在は緑地として整備されていて、大きな池にたくさんの鳥が集まっています。
ハローサイクリングでここまで来た人は、もうひと駅先の「能見台(のうけんだい)」まで行きましょう! 駅前のイトーヨーカドーにレンタルポートがあります。