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【県立大学】「ブーランジェリールメルシエ」の「カスクルートと十六穀パンサンド」

「いまどきのブーランジェリー」でもあり「町のパン屋さん」でもある「ブーランジェリールメルシエ」

京急県立大学駅から徒歩10分ほど。かつては海岸線だったカーブに沿って建つ「ブーランジェリールメルシエ」。

打ちっぱなしのコンクリートの壁、大きなガラスと白い木枠の扉、黒板アート。

そんな「いまどきのブーランジェリー」な外観とは裏腹に、店内は文字通り「老若男女問わず」お客さんが次々と訪れる「町のパン屋さん」といった趣きを見せる。

けれども、そんなお店にいたるには様々な試行錯誤があった。

目覚めた職人魂と子どもの進学と

高校卒業後、横須賀を離れ、東京の調理師学校に入学。そのまま東京に留まり、パンメーカーで働きはじめた畑中一郎義重さん。

当初は独立志向はなかったものの、パン職人としての経験を積んでいくうちに独立を考えるようになる。

「ここ(横須賀市安浦町)で祖父の代からタイル業を営んでいたんです。そういう職人の姿を見て育ったからか、パン作りを続ける中で、自分の腕一つでやってみたい、生涯の仕事にしたい、自分で考えて自分で作る自分の店を持ちたい、という気持ちが次第に大きくなって。」(一郎義重さん)

「子どもを育てる環境にも適していると考えて、横須賀で祖父の代から続くこの場所でパンを焼こうと。 」

「オープンのタイミングは、親の都合で転校させるのも気が引けるので、子どもが小学校に入学するタイミングで。」(妻の由香さん)

こうして「2年後には地元横須賀の安浦町に戻って自分たちの店をオープンする」と目標を定めた一郎義重さんは、勤めていたパンメーカーを辞め、個性の異なるパン屋で様々な経験を積む期間を設けることにする。

様々なパン屋での経験がいまのルメルシエのいしずえに

都内を中心に店舗展開する著名なブーランジェリーや総菜パンもある大手製パンメーカーなど、扱うパンの種類も売り方も異なるパン屋で経験を積んでいく中で、特に衝撃を受けたのが本場フランスそのままのクロワッサンを焼くお店だった。

「自分の店もそんな本場フランスのようなパン屋にしたいと心に決めていました。店をオープンする前には本場のパン文化を体感すべく1ヶ月近くフランスに滞在して、現地に住んでいる友人に色々案内してもらいました。」

「味や手法は勿論のこと、お客さんがパンを利用するスタイルなどにも刺激を受けました。」(一郎義重さん)

様々なパン屋での経験の中で、自分が目指すお店のビジョンを明確にした畑中さんだったが、その他のパン屋での経験がいまのルメルシエを築く思わぬいしずえになっていくとは、この時はまだ思っていなかった。

2010年7月、満を持して生まれ育った安浦町にオープン

「自分が子どもの頃は店の前は海で、店の周りも漁港だったんです。でも今はマンションが建ち並ぶニュータウンになっていて、県立大学(神奈川県立保健福祉大学)もある立地。自分が目指す『本場フランスのようなパン屋』もすんなり受け入れられると思っていました。」(一郎義重さん)

もちろん『本場フランスのようなパン屋』のオープンを歓迎する声も多かったものの、その反面、戸惑う声を耳にすることも……。

まずは外観。打ちっぱなしのコンクリートの壁、大きなガラスと白い木枠の扉、黒板アート。海の近くにこんなブーランジェリーがあれば、誰もが素敵だと思いそうだが、「ブティックかと思ってた」「美容院だと思ってた」「趣味でやってるのかと思ってた」と後になって言われることも多かったという。

そして肝心のパン。衝撃を受けたフランスのパン。自信を持って作ったパン。そのパンにも戸惑いの声があった。

「フランスのパン文化」と「安浦町のパン文化」

「三角のサンドウィッチはないの?」

「当初はバケットに三浦野菜をふんだんに挟んだサンドウィッチだけを置いていたんですけど、『三角のサンドウィッチはないの?』って言われちゃって(笑)。やっぱりこの辺りに住むおばあちゃんとしてはサンドイッチ=三角なんだなって。」(一郎義重さん)

「子どもが食べられるパンがない!」

「お母さんとお子さんが楽しそうに入って来たんですけど、しばらく店内を見て回った後に『○○ちゃんが食べられるパンはないね』って聞こえてきて。それがすごいショックだったんです。」

「私たちにも子供はいるのに。それこそ子育ても考えてこの場所に出店したのに。同年代の子どもが食べたいと思うパンを作っていなかったなんて」(由香さん)

けれどもこのような声を聞いて、2人は自分たちのパンが否定されているとは捉えなかった。そして、改めて自分のお店の周りに目を向けてみた。

「近くにはポテチパンが有名な中井パン店があり、開店した時にはまだシルバーベーカリも営業していたんです。そういったお店は長い間お客さんに支持されてきて、そして今でも需要があるから『ずっと現役』でいられるんですよね。『レトロ』だから『昭和』だから受け入れられてる訳ではなくて『昭和の頃からずっと美味しくて、今でも美味しい』から現役な訳で。」(一郎義重さん)

「本場フランスのパン文化」に惚れ込んでオープンしたブーランジェリールメルシエだが、こうして「安浦町のパン文化」にも目をむけ、受け入れ、寄り添っていくことになる。

「作りたかったパン」も焼く、「近所の方にも喜んでもらえるパン」も焼く

そのために心に決めたのがこの2本の柱。これを意図的に続けることで、ルメルシエだけのパンの数々が生まれていくことになる。

けれども、「作りたかったパン」「近所の方にも喜んでもらえるパン」、どちらにも妥協することはなく、どちらにも熟慮した生地や食材を使う。

サンドウィチなら「カスクルート」と「十六穀食パンサンド」。

あんパンなら「あんバター」と「あんぱん」。

総菜パンなら「ウインナーロール」と「チーズウインナー&マスタード」を用意する。

「そこでやっぱり「総菜パンもある大手製パンメーカー」での経験が役に立ちました。多分ウインナーロールのくるくる巻くのとか、フランスのパン文化の中では学べなかったと思いますし(笑)。そういった技術を『パン職人』としてしっかり学んでいたことで、「近所の方にも喜んでもらえるパン」にも前向きに取り組めたんだと思います。」(一郎義重さん)

こうして生まれた、ルメルシエだけのパンの数々は、結果的にルメルシエだけが持つ独自の印象を残すことになる。

今ではそんなルメルシエのパンを「最後に食べたくて買いに来ました」というお客さんも多いという。

「県立大学(神奈川県立保健福祉大学)や、2~3年の任期で異動となるベース(在日米軍基地)の家族が暮らす物件が多い土地柄もあるんでしょうけど、数ある店の中の、数あるパンの中で、ルメルシエのパンを『最後に食べたかった』と言ってくれる。本当に職人冥利につきますよね。ここに自分のお店を出して本当によかったと思う瞬間です。」(一郎義重さん)

お客様を選ばない店でありたい

お客さんのちょっとした言葉を真摯に受け止め、メニューを増やしてきたルメルシエだが、その他にも、お客さんの言葉からヒントを得たケースが多い。

「このサンドウィッチ半分に切って下さい」

「ある時、学生さんにこう言われて。せっかく食べたいと思ってくれてるのに、少し高く感じてしまうのは残念だと思って。」(一郎義重さん)

そこで、すぐに学割制度を導入。すると、ルメルシエでランチが買えるという口コミが拡がり、昼時に利用してくれる学生さんが増えたという。

「このパン、贈り物にしたいの」

「オープン当初、パンは日常的に買うもので、贈答用に使うものというイメージは持っていなかったんです。でも『贈り物にしたい』『あの人に食べさせたい』という声も多くて。そういう需要があるならと、焼菓子も置くようにしました」(由香さん)

その焼菓子も好評を得て、特に春先の卒業・入学シーズンには毎年多くの方たちに利用されるようになり、いまではすっかりルメルシエの看板メニューのひとつになっている。

昨日はやってなかったのね」

「開店して数年は、知名度を上げるために川崎や横浜のイベントにも参加していたんです。でも、イベントに参加すると、瞬発的に盛り上がったりはするんですけど、なかなか長続きもしなくて。しかも個人店だと、イベントのためにこっちを休まなくちゃいけなくて。普段のお客さんが買えなくなっちゃう状況を作ってしまうのが、やっぱり心苦しくて。」

「なので今は「遠くのイベントより近くのお客さま」というスタンスでやっています。」(由香さん)

いつもやっているという安心感もあってか、「今日は買いに来ないかな?」と思うような荒天の日でも、買いに来てくれるお客さんも多いという。

店名にある「ルメルシエ」はフランス語で「感謝」を意味する

オープン当初よりもSNSが広く利用されるようになり、遠くの場所にも情報を伝えやすい時代になっているものの、ルメルシエは身近な町に目をむけ、近くのお客さんの声に耳を傾けてきた。

「『お買い上げ頂きありがとうございます』はもちろんですけど、この町に住んでいてくれることにも感謝ですし、この店の話をしてくれることにも感謝ですし。だから、下げられる敷居は下げて、聞ける声は聞いて、それをなるべく商品やサービスといった形にしてお返ししたいんですよね」(一郎義重さん)

そんなスタンスが「いまどきのブーランジェリー」でもあり「町のパン屋さん」でもある「ブーランジェリールメルシエ」の今を形作っている。

海だった場所に造られたニュータウン。

海だった道路沿いに建つ店舗。

そんな町の記憶を蘇らせる境界に「本場フランスのパン文化」と「安浦町のパン文化」を包み込んだ「ブーランジェリールメルシエ」があるのは、どこか必然的な気もしてくるのである。

メニュー(ランチ)

左・あんぱん

金ごま、黒ごまたっぷりの生地に、東京大田区の望月製餡所さんの上品な甘さの美味しいこしあん。ごま、多っ!!

右・あんバター(プチバゲット)

粒あんと無塩バターが小麦の甘味、バゲットの塩味と良く合います。

左・ウインナーロール

沖縄ハムさんのパリッとジューシーなウインナーを巻いた調理パンの定番!少しあたためるとより美味!

右上・チーズウインナー&マスタード

チーズ入りシャウエッセンと粒マスタードをフランスパンで!

上・カスクルート

バゲットにペッパーポークと野菜をたっぷり!

下・十六穀パンサンド

肩ロースペッパーポーク&チーズ&アボカド&シュリンプ

店舗情報

ブーランジェリールメルシエ

公式Facebook:https://www.facebook.com/ブーランジェリー-ルメルシエ-126844917416468/

所在地:〒238-0041 神奈川県横須賀市安浦町3ー3ー7

GoogleMap:https://goo.gl/maps/3xTz9QPyERjibZhZ6

「安浦町埋地殉難者供養塔」のある安浦公園

「安浦町」の名は、「安田」の「安」と港を表す「浦」を合わせてできたもので、

「よこすか海辺ニュータウン」事業の平成町よりもはるか昔、大正時代に「公郷町地先海岸埋立」事業で誕生したのが安浦町だった。この埋立事業では17名の犠牲者が出てしまったが、安浦公園の一角にはその霊を慰めるための供養塔が建っている。

また、公園中央には、日差しをさえぎってくれる藤棚に覆われたベンチがあり、近所の方たちの良き休憩所となっている。

参照:其の弐 安田保善社初直営 安浦町埋立地|安田めぐり|継承 ✕ 創造|安田不動産株式会社

其の弐 安田保善社初直営 安浦町埋立地|安田めぐり|継承 ✕ 創造|安田不動産株式会社
安田善次郎翁晩年活動や想い、安田不動産株式会社の歴史を紹介している安田めぐり其の弐。安田保善社初直営、安浦町埋立地。初直営の土地造成地、神奈川県横須賀市安浦町を訪ねます。

公園情報

安浦公園

所在地:〒238-0012 神奈川県横須賀市安浦町2丁目

GoogleMap:https://goo.gl/maps/Jk7hE6tehEGLnbwk6

今回歩いたルート

県立大学_ブーランジェリールメルシエと安浦公園 - Google My Maps
Megane graphics(メガネ グラフィックス)
Megane graphics(メガネ グラフィックス)

デザイナー。
リモートワークの合間に横須賀の個人飲食店にお昼を食べに行くのが好き。
横須賀の個人飲食店のお仕事をするのも好き。
でも、好きな横須賀の個人飲食店が次々閉店していくのが心配。

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