はじめに。
最初にお伝えしておきます。このシリーズは、横須賀をあんまり知らない”ヨソモノ”である筆者が【起点は駅】【行き先を決めない】をルールに街を歩く、という「コース」と呼ぶにはいささか乱暴な散歩です。
あてもなく歩くから見えてくる(かもしれない)街の姿を一緒に楽しんでいただければ、そんなうれしいことはありません。
てなわけで、来ました『追浜(おっぱま)』。
最初に来たのは横須賀の北端、東京~横浜方面からすると「玄関口」にあたる追浜駅です。三浦半島の主要交通と言えば、”赤い弾丸”の呼び名で知られる京急本線。まずはこの沿線を北から順に南下、各駅を歩いてみることにしました。

しかしまず、スルーできないのが「声に出して読みたい」という欲求を抑えきれないこの駅名。どこをどう見ても「おいはま」なのに「おっぱま」ですよ?もともとおいはまだったのを、 「海軍航空隊の偉い人が追われる浜では縁起が悪いとしておっぱまとしたともいわれる。」という説があるそうですが、なにしろ一度聞いたら忘れられない名称です。
名前のインパクトに対し、じゃあ追浜の「街」にどんな印象があるかと言えばです。写真家の石内都さんが少女時代を過ごしたということ以外は、「高校の同級生に、追浜出身のパンクスがいたんだよね」という話をうちのダンナから聞いたくらい(しょうもない知識ですみません)。 さて、どんな街なんでしょう。
国道16号 a.k.a 横須賀街道沿いの商店街へ。
改札を出ると、パンクスならぬ、爽やかな野球選手たちの写真とサインがずらりと並んでいました。

追浜には横浜DeNAベイスターズのファーム(2軍)施設があるそうです。こぢんまりした駅であるわりに改札が広いのは、練習や試合を見に来るファンのためなのかもしれません。

駅前のペデストリアンデッキに出ると、すぐ目の前を国道16号が走っています。東京を経て千葉・埼玉にまで伸びるどでかい環状線ですが、横浜~横須賀間は『横須賀街道』の名前でも知られています。
ショッピングビルらしきランドマークがありますが、青空に映える赤い看板は無記名。駅前なのになにゆえ?
「あそこのビル? 『サンビーチ追浜』のことね。看板は気にしてなかったけど、昔『SEI●U』だったのが撤退しちゃってね。そのままになってるんじゃない?」と地元のマダム。
16号線に沿って、アーケードの商店街が南北に延びているので歩いてみます。

魚屋や居酒屋に混じって、洋館建築を思わせるモダンな建物がありました。表札には『鳥海病院』とあります。

『新・追浜歴史年表』には「昭和8(1933年)「鳥海病院、日向より浦郷1241番地(現・追浜町3丁目7番地) に新築移転し、開院する。建坪136坪という。(仮題『自伝青山 松次』)」と書かれており、約90年前からこの地にあるようです。松の主張がすごすぎて、建物のステキさが写真で表現しきれないため、ぜひ生で見てみてください!
街歩きをするうえで、商店街のように個人店が軒を連ねる風景は、その街の個性が伝わってきて楽しいものですが、駅から離れるほどにシャッターが降りたままの店が増えてきて、少々寂しめ。

定休日。コロナ休業。閉店。テナント募集などなど、貼り紙が入り交じるなか、開いている店にお邪魔して、ある店主とお話をしました。
「夏島貝塚通りの先に『オカムラ』って会社があるんだけど、昔はその辺りまで海だったんですよ。あの界わいにはね、”蒲谷さん”という名字が多いの。『鉈切り伝説』って調べみて。源範頼が鎌倉幕府に追われて逃げてきたでしょ? そのとき彼を助けた村の人たちに付けた名字らしいんです。僕が子どもの頃にはね、学校に何人も蒲谷さんがいたもんですよ」
お話に出てきた、近くにある古刹『良心寺』も覗いてみました。現在80代だという店主、少年時代はここを良い遊び場にしていたのだそう。

夏島貝塚通りを歩き、野島町を眺める。
いったん駅まで戻り、今度駅を背にしながら東京湾方面へと延びる、夏島貝塚通りを歩きます。

こちらもやはり商店街。店構えの新しいお店もいくつかあり、活気が感じられます。先ほど歩いた16号沿いより、人通りも多いよう。
通りがかりに青々とした葉物が並ぶ八百屋さんがあり、つい見入ってしまいます。横須賀に引っ越してきて驚いたのは、立派な野菜がリーズナブルな値段で買えること。
「海沿いの工場地帯ができてから、新しい人が本当にたくさん引っ越してきたのよ。この近くにも、前は小高い丘がもっとあったんだけど、住宅造成でどんどん削ってしまって。昔とはだいぶ景色が変わったわねえ」と追浜育ちだという女性。
海に近づくに連れ、道の左右に大型マンションが増えてきました。通りから1本裏手は、戸建てが並ぶ住宅街です。築数十年級であろう懐かしい顔をした家が並ぶ16号付近とは違って、この辺りの戸建てのほとんどはイマドキの四角い箱形ハウス。昭和の平屋に住むために横須賀に引っ越してきた私としては、16号系住宅に一票入れたいです。


通り沿いには夏島小学校も。平日の昼間という時間のせいはあれど、シニア層が多い駅前とは違い、元気な小学生・中学生がうようよしています。

この辺りが、先ほどの女性が言っていた「新しい人たちがたくさん引っ越してきた」ゾーンなのでしょうか。

通りの名前にもある『夏島貝塚』も行ってみたかったのですが、地図を見る限り徒歩で行くと遠そうなので今回は我慢。この辺りは平坦なので、自転車で来るのも気持ちがいいかもしれません。そのうち、ちょっとしたパルテノン神殿みたいなものが見えてきました。

こちらは『北体育館』、どうやら追浜公園に着いたようです。老店主が「かつて海だった」と話した『オカムラ』も右奥に見えました。交差点を曲がると『横須賀スタジアム』があります。

道路を挟んで反対側は日産自動車の追浜工場。敷地の広さがものすごい。もともとこの辺りは横須賀海軍の飛行場だった、と先ほどの老店主さんに聞きましたが、高い建物のない横長の景色はそれらしい無骨な顔をしています。

選手の練習風景くらい見えないかなあ、と期待しましたが、スタジアムに人の姿はなく、そのまま平潟湾に浮かぶ野島町方面に歩きます。

野島町の南側、野島水路沿いの道まではすぐでした。水路の向こうは横浜市金沢区です。

しかし、きれい。追浜にはゴメンですが、荒涼とした工場地帯を抜けた後に、海に浮かぶ緑の野島町を眺めると、ことさら美しく見えます。ここで夏島町(工場地帯エリアのことです)のWikipediaを見てみました。海を埋め立て、海軍航空隊ができ、そこが米軍のスクラップヤードを経て自動車工場になり、今に至るという場所なんですね。もし、浮世絵のモチーフにもなった景勝地だった風景が今も残されていたのなら、金沢八景や追浜は別荘地として盛り上がっていたりして、なんて妄想も頭をよぎります。

鷹取川の河口を越え、横須賀市の端っこにあたる夕照橋付近まで来てUターン。せっかく端っこまで来たので、横浜と横須賀の区境を歩いて、再び追浜駅に戻ってみようと思います。
横浜と横須賀の区境に沿って、再び16号へ。
うねうねと曲がる区境を見失わないよう、スマホを片手に住宅街の中を抜けていくことにしました。

海上自衛隊宿舎の脇を南に下り、関東学院大学の学生寮の前を西進すると、急勾配が出現。せっかくグーグルマップで標高グラフが見られるようになったのに、チェックし忘れていた……。こういう高低差も横須賀らしさだね、と自分を慰めながら黙々と坂を上ります。

この道そのものが区境になっており、道の北側が横浜市金沢区、南側が横須賀市追浜。横浜側は大型マンションが並んでいるのに対し、横須賀側は戸建ての密集地帯。

坂の上まで来ると、高台らしく周囲の街並みが一望でき、眺めはキレイです。

緩やかに坂を下り、再び国道16号に合流。和田山入口から駅方面に歩くと「雷神社」に出ました。正式な読み方は「いかづちじんじゃ」ですが、「かみなりじんじゃ」と呼ぶ地元の人も多いのだとか。

歩道橋の向こうに、『北原のパン』とあるかわいいパン屋さんが。散歩の記念に何か買って帰るついでに「写真を撮っていいですか?」と聞くと、快くOKしてくれました。

引っ越してきて、まだ横須賀のことをよく知らない、と告げると「この目の前の道はねえ、昔戦車が通ってたんだよ」と店主。旧日本軍の軍用道路として作られたため、昔から立派な道だったのだとか。

包装がレトロで可愛い食パンとポテトチップサンドを購入。この通称”ポテチパン“と呼ばれる食べ物、読んで字のごとくポテトチップを挟んである斬新な惣菜パンなのですが、なぜか横須賀市内のあちこちのパン屋で買えるご当地グルメ的存在らしく、いつか食べてみたいと思ってました。


店によりレシピも味も異なるそうですが、こちらのポテチパンは甘酸っぱくてほんのりカラシがきいてる。そのうえ、ポテトチップの歯応えもしっかり。なんだか不思議おいしい、クセになる味です。
さて、駅前に戻って散歩も終わりかと思いきや、バス停の前にいい雰囲気の角打ちがあるではないですか。

歩きまわったあとのビールはきっとおいしいはず。聞けば朝10時からオープンしているとのこと。ビール、日本酒、ウイスキー、焼酎、ホッピーと充実のラインナップがリーズナブルにずらり。つまみ込みでも1コインでおつりが来ます。サイコー!



『ぷらから』=プラス1時間ここから歩く、というコンセプトですが、今回の散歩は寄り道込みでしめて1.5時間でした。
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先日のニュースで、追浜駅前が再開発され「地域密着型バスタ」ができる、という記事を見ました。「駅周辺に分散している11カ所のバス停を駅前空間の1階に集約し、2階以上には子育て支援拠点などの公共施設や商業施設の導入も検討」とあります。
元都民の私にとって、バスタと言えば新宿駅ですが、あれは都心型バスターミナルの極み。”地域密着型”スタイルの整備は追浜が初めてだそうですが、さて、どういう地域密着の形ができあがるのか。
願わくば、小さいトーキョーやヨコハマみたいなのじゃなく、「おっぱま」という個性的な名前にふさわしい姿でありますように。
次回は、追浜〈WEST〉エリアを歩く予定です。どうぞお楽しみに!
今回歩いたルート
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