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【YRP野比】12年に1度の御開帳! 三浦三十八地蔵尊御開帳レポ タイムアタック3日目

前回、浦賀・走水・大津エリアを攻め、約半分ほどをクリアしました。

今回はYRP野比駅以南~三崎港の東海岸エリアを巡りたいと思います! 今度こそ、予定通りに行くのか!!

今回のお散歩コース

三浦三十八地蔵尊御開帳 3日目 - Google My Maps

YRP野比駅から出発して、最宝寺(さいほうじ)、津久井浜駅から東光寺(とうこうじ)・三樹院(さんじゅいん)を経て、三浦海岸からバスに乗って永楽寺(えいらくじ)・円福寺(えんぷくじ)・福寿寺(じゅふくじ)・福泉寺(ふくせんじ)・海応寺(かいおうじ)の8カ所を目指します。

……今回はバスの本数が少ない箇所なので、果たしてどこまで行けるか……。

8番 五明山 最宝寺

最宝寺の最寄り駅はYRP野比駅。駅から800mほどの距離ですが、緩いとはいえ坂道を上るので、だいたい徒歩15分~20分ぐらいかかる目安で出発します。

前回と同様に最初のお寺に10時には着いておきたいので、よって9時40分ぐらいに駅に到着しておきましょう。

YRP野比駅 改札口

改札を出たら右を向いて……。

YRP野比駅前

ローソンと駅の間の道に入ります。

なだらかな坂道
これといって特徴がない交差点

道なりにずっと進むと、最宝寺の私道が右手にあります。滑り止めのある細い坂道を登って、お墓を横を通ります。

坂を上り切って下っていくと最宝寺が見えてきました。

墓と駐車場ごしの最宝寺

最宝寺は建久6(1195)年に源頼朝が鎌倉の弁谷(べんがやつ=現在の材木座にある光明寺の北の谷)に建てたお寺から始まりました。

その後、鎌倉幕府が滅亡したときに戦火に巻き込まれてしまい、弁谷の寺は焼失しました。そして室町時代になってから現在の位置に再興したとされています。

野比に移った理由は諸説ありますが、浄土真宗の弾圧から逃れて……という話があります。浦賀にある乗誓寺(じょうせいじ)も室町時代の浄土真宗弾圧から逃れて来たので、三浦半島は浄土真宗を歓迎していたのでしょうか。ここらへんを掘ってみる価値はありそうです。

そうでなくても、頼朝様ゆかりの寺が三浦に逃れて来たなんて、三浦一族ファンとしてはなかなかのエモさを感じます。

最宝寺の地蔵尊は少し胸にふくらみがあるような……? ぽっちゃり系というには体のラインが細い気もしますし、顔も丸みを帯びた輪郭で女性っぽさを感じました。

9番 七宝山 東光寺

再び歩いてYRP野比駅まで戻り、電車で津久井浜駅まで行きます。向かうのは東光寺。以前も紹介した、三浦義明の弟、津久井義行(つくい よしゆき)の墓があるお寺です。

津久井浜駅からは徒歩約15分ぐらいです。道順と由緒に関しては下記記事を参考にしてください。

こちらの地蔵尊は、がっしりとした体格で四角い顔。目つきも鋭く、やはり三浦一族ゆかりのお寺の仏像……! というような男らしさを感じました。

再び津久井駅に戻ります。時間は11時を過ぎた頃でしょうか。

10番 海東山 三樹院

三浦海岸駅方面に向かって三樹院を目指します。三樹院も以前訪れたことがあります(その時は三浦海岸から津久井浜に向かう逆ルートでしたが)。

津久井浜駅からは歩いて約20分ほど。

今回御開帳されている地蔵菩薩は、肌の色がリアルに塗られていて、坊主頭は青くクリクリとしています。なんとなく人間味を感じる像でしたが、詳細は不明だそうです。

11番 牛込山 永楽寺

三樹院からは15分ほど歩いて三浦海岸駅に向かい、バスに乗ります。2番のりばで海34・35系統に乗り、白山神社(はくさんじんじゃ)バス停で下車します。

ただバスの本数が一時間に1~2本しかありません。バスの時間によっては三浦海岸駅周辺でお昼休憩をしましょう。

白山神社バス停

バスを降りたら、進行方向に少し進みます。

信号を渡って路地に入り白山神社の横を通り過ぎると、左手側に山門が見えます。

坂道を上った先が永楽寺

バス停からは10分ほど。

室町時代、三浦一族が滅亡した後に三浦半島を治めていた小田原北条氏と、房総半島の里見氏は攻防を繰り返していました。

里見氏は三浦半島を攻撃し、津久井浜の法蔵院にあった仏像や梵鐘などを略奪しました。しかし、帰路に嵐に遭い、里見氏は仏像を海に捨てました。その仏像がこの地に流れ着き、永楽寺を建てて祭ったのがお寺の始まりです。

ちなみに宝蔵院は鎌倉時代の元久元(1204)年に創建と伝わっていますが、定かではありません。もしもこれが本当なら、三浦一族も深く関わっていたかもしれませんね。

こちらの地蔵尊はキリっとした大きな釣り目が印象的でした。口元もキュッと結ばれていて、やわらかい表情が多いお地蔵さんの中では珍しい表情をしていると感じました。

36番 金田山 円福寺

白山神社バス停に戻って再びバスに乗り、金田(かねだ)バス停で下車します……が! 時間によっては1時間ぐらいバスを待つことになります。

永楽寺から円福寺までは2㎞ほど離れているので、歩くにはちょっと遠い微妙な距離。

景色はめちゃくちゃ良いのですが……!

白山神社バス停の一つ先の高抜(たかぬき)バス停付近にはカフェやレストランがあるので、そこで休憩がてら時間をつぶすのもアリです。

金田バス停に着いたら、バスで来た道を少し戻り、お地蔵さんのところの路地に入ります。

かわいいお顔をしてらっしゃる……。

道なりにまっすぐ進みます。

突き当りを右に曲がると、円福寺の山門があります。

円福寺山門

バス停からは徒歩約5分です。

円福寺は室町時代の天文17(1548)年に、海岸沿いにあった地蔵堂をここに移したことが始まりです。御開帳されている地蔵尊は詳細は不明ですが、運慶作とも伝えられています。

お地蔵さんも見るからに古いもので、服の皺のリアルな感じは運慶作と言われたら、素人としては「そうなんだ」と思ってしまいます。本当に運慶作なら三浦一族とも関係が深いものだったのかもしれません。

ちなみに今回の三浦地蔵尊の他にも三浦七福神の恵比寿も祀られていて、こちらは三浦七福神として毎年お正月に御開帳されます。

12番 岩浦山 福寿寺

バス停に戻って再びバスに乗り、岩浦(いわぶ)バス停で下車します。こちらもまた1.5kmほど離れているので、上手いことバスに乗れれば良いですが。

福寿寺は三浦義村ゆかりの寺で、アクセスや縁起は以前の記事を参考にしてください。記念すべき(?)私のぷらから初記事です。

寿福寺の地蔵尊は、目を閉じて何かを思案しているようにも感じます。制作年代は比較的新しめだと思いますが、三浦義村ゆかりというのも相まって、「三浦義村ってこんな表情していたのかしら?」と思いを巡らせました。

13番 千光山 福泉寺

さて、時間通り順調に来れたら、このあたりで14時頃でしょうか……。寿福寺から福泉寺まではバスに乗っても歩いても約20分ほど。バスの本数も微妙なので歩いてみました。

三浦海岸方面って、私は海沿いを行く事がほとんどなので、山道へ行くのは初めてです。

福寿寺からくねくねと山道を登っていくと……。

は? なにこの絵画みたいな風景。こんな道があったとは……。行ったことない道も行ってみるもんですね。

そのまま道なりに進むと大通りに出るので左へ。

少し先の右側に見える坂道を下ります。

道なりに行って突き当りを左へ向くと、福泉寺の山門です。

福泉寺山門

福泉寺は鎌倉時代末期の正中元(1324)年に創建されたお寺で、もともとは海岸沿いにありました。江戸時代、元禄16(1706)年の大津波の被害に遭い、現在の位置に再建されました。

太平洋戦争末期には「震洋(しんよう)」という水上特攻兵器の本部が置かれましたが、1人も戦死者を出さずに終戦を迎えたそうです。木々に囲まれたお寺の中で、しみじみと世界平和について考えました。

福泉寺の地蔵尊は、年季を感じさせる色合いが落ち着いた印象がありました。参拝者を優しく見守っているようです。

37番 立光山 海応寺

さて、福泉寺の最寄り松輪(まつわ)バス停に向かいます。

山門を出て左の道へ。

このY字路を左へ。

ピンクの壁が特徴的な家が建っているこの角は右へ。

松輪バス停

福泉寺から約10分。松輪バス停に到着しました。ここからバスに乗車しますが、海34系統の「剣崎(つるぎざき)ゆき」には乗らないでください。海応寺の最寄りバス停「大乗(おおのり)」まで行きません。

およそ12分ほどで大乗バス停に到着します。すぐ近くには「海応寺入口」の石碑が。

左に曲がって進むと、道が上下に分かれています。上の道を進みます。

5分ほど道なりに進むと、海応寺です。

海応寺山門

何度も火災に遭い、創建以来の詳しい歴史は失われてしまったお寺です。

こちらの地蔵尊は金色の座像ですが、坊主頭の部分だけ青く塗られています。目を開き、口元は少し笑っていて「よく来たな」と言ってくれているような気がしました。

到着は15時過ぎ。とにもかくにもここで本日の予定は終了です! やった!

ぷらすのぷらり

帰りは大乗バス停まで戻って三浦海岸駅まで戻るもよし、三崎港へ行くもよしですが……ここまで来るとバスの本数もかなり少ないです。かといって周辺には何もお店はありません。

そこで30分ほど歩いて、バスの本数が多い西側の「松輪入口バス停」に行くという手もあります。

大通りを三崎方面へ進むと、曲がり角で下り坂に分かれています。

坂を下って道なりに進むと広い畑があるので、それを回り込むように道なりに進み、坂を上って行くと松輪入口バス停です。

次回は、三崎港・三崎口エリアのお寺を回りますよー!

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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