北久里浜から久里浜まで、平作川沿いにひと駅歩いた帰り道。せっかくだからもうひと駅歩きたいなあ、と思いました。YRP野比駅のほうに歩いても良かったのですが、あえて直接つながっていない駅と駅を歩いてみるのもおもしろいかも。それなら、と浦賀に行ってみることにしました!
前回歩いた記事はこちら。
今回歩いたルート
久里浜から浦賀へは、最短なら夫婦橋を渡って久比里のほうへ抜けるコースがあります。そのほかにも千代ヶ崎砲台や灯明堂が近くにある海沿いルートも。そしてもちろんバスに乗ることだってできます。が、今回は変化球で行ってみましょう。近世以前にあった道の名残をしのぶことができる、山道ルートです。
JR久里浜駅から浦賀駅まで、寄り道したり写真を撮ったりしながら1時間半かからないタイムで歩けました。
134号線沿いをさかのぼる

駅を離れて北久里浜方面に進みます。国道134号線沿いに川を渡ると、マンションの公開空地が見えました。

なんかいるなー、とさっそく寄り道。

タイトルも作者のクレジットもないブロンズ像が2体。おそらく裏面にはサインが彫ってあるんだと思います。銅像ってとても長持ちするものなので、どうしてここにあるのか、とか、どこから来たのか、とかがだんだんわからなくなっていきがち。この像はどうでしょうね。
ナンキンハゼの街路樹

等間隔に植えられた街路樹がある道です。

この日は11月末だったので、ナンキンハゼの紅葉が見頃でした。冬場に剪定を行っているそうで、ごつごつした枝振りが格好いいです。
サイゼリヤからショートカットもできます

サイゼリヤ久里浜店がピンクになってました。ピンクのサイゼリヤって珍しい気がします。ちょっとびっくり。
今回はこのまま直進しますが、この角で若宮台のほうに曲がって線路沿いに進んだほうが少し近道です。マイマップには両方のルートを記載しておきましたので、お好きなほうをどうぞ!

横須賀ドライビングスクールって昔からイチゴがトレードマークですよね。なんでなんだろう? 理由はわからないままですが、久しぶりに前を通ったらデザイン違いのイチゴが増えていました。
舟倉の交差点

そのまままた少し進み、舟倉の交差点で右に曲がります。

線路を渡り、水路沿いに右に曲がって直進します。

ずんずんまっすぐ進むと鉄塔が見えてきます。ここにある踏切は、サイゼリヤのところからショートカットした道が合流する地点。鉄塔の裏山あたりが三浦一族の支城、怒田城址です。ここはそのうち樽瀬川さんが案内してくれると思います!

道なりに進むと前方にぽっこりとお山が見えます。今日はこの山を越えますよ!
吉井の御林
これから歩く山は「御林」と呼ばれています。由来は江戸幕府の御用林だったから。これは市内ではそれなりによく知られたお話だと思います。江戸城まで焼いてしまった明暦の大火後、再建のための材木をここから切り出した、みたいな逸話も聞いたことがあります。

しかし舟倉側から見ると、御林、というよりお山なんですよね。こんなとこからほんとに材木を運び出していたのだろうか……と思ってしまいますが、実はほかの地域でも似たような感じだったみたいです。たとえば高崎市にあった御林では、山から木を切り出して川に流し、それをいかだに組んで利根川へ……という行程をたどったそう。

なるほど、それならわかります。吉井の御林はきっと浦賀から運び出したんだな。

ここから先はひたすら道なりに進みます。急坂が待っています。事前のストレッチなどをお忘れなく!
真福寺

この擁壁の上には「真福寺」というお寺があります。なんでも観音堂に祀られているのがマリア観音なのでは? と言われているそう。衣の裾がお魚の形だから、ということですが1、港町浦賀だからお魚になった可能性もありそうです。真偽はもう歴史の海の底、といったところでしょうか。


大事なことを忘れていました。御林は左右から木々がおおいかぶさっているので昼間でもちょっと暗いです。夕方以降はかなり視界が悪いと思うのでご注意ください!
ごみを捨てるべからず

かなりの急坂を上っていきます。岩場ではありませんが切り通しの道ですね。

御林に立ててあるからなのか、看板の言い回しが大時代なのがちょっと笑いを誘います。しかし上部が倒木か落石でひしゃげています……。こちらは笑えない。安全には注意して歩きたいところです。

ちょっと読みにくい場所ですが、御林についての説明書きもありました。

上りが長く続くので、無理せずゆっくり歩きましょう。

舗装道路からはところどころ踏み分け道が伸びています。地理院地図で確認してみると、若宮台のほうに抜けられるものも何本かあるみたい(この写真に撮った道は違うかもしれません)。気になりますね。

急坂を意味する道の溝がなくなりました。ここからは少し傾斜が楽になるぞ……!
浦賀へ足を踏み入れる

そう思っていると間もなく、ぽんと西浦賀の住宅地に出ました。急に現世に戻ってきた感じがあります。

こちら側から振り返ると、御林もそこまで山! という印象ではありません。木を切り出して運ぶとしてもなんか現実的な感じがします。築城にはケヤキを利用したということですが、たしかにたくさん生えていますね。

ところどころに擁壁工事の記録と、動物タイルがはめこまれている中を進みます。
天女水

天女水は今でも存在していますが、私有地の中にあるそうです。今回は見ることが叶わなかったので場所の記録だけ。

このあたりが水に恵まれているのは今でも変わらないようで、谷底を川が流れています。すり鉢みたいになった階段の高低差、良いですねえ。川の向こうは光風台です。

手書きの看板。「です・ます」と「だ・である」が混じってる感じ、いかにも手作りという印象で好感が持てます。
高坂貝塚と高坂小学校

貝塚もあります。縄文時代、今歩いているあたりはきっと海の底だったはず。山は隆起前でもっと低かっただろう、などと考えてみます。同じ場所とはいえ全然違う風景だったんだろうなあと想像が膨らみます。

擁壁のブロックにペイントがあるのを見つけました。だいぶかすれてしまっていますが、矢印がなくても小学校がどっちにあるかわかる前のめりっぷり。

引きの写真はこちら。ユーモラスで見落としにくく、いいサインですね。

浦賀は干鰯産業で賑わったと聞いてはいましたが、こういう由来を読むと実感が湧いてきますね。このあたり一面で干鰯を作っていたのかー。
高坂小学校を過ぎたあたりから、今の道は久比里を通ってくる浦賀通りと並行して伸びています。「精栄軒」のある角で右に曲がり、浦賀通りに合流してから海沿いのバス道路を渡りましょう。ちょうど浦賀の渡しがあるあたりです。浦賀の渡しは今度樽瀬川さんが案内してくれるみたいです。お楽しみに!
海沿いを歩いて浦賀駅へ

浦賀の海はもともと造船所でぴっちりおおわれていたので、建物の隙間からちょろりと海面が見える……みたいな様子でした。たまに潜水艦が見えてうれしかったりした記憶もあります。それがこんなに広々と水際を楽しめるようになったなんて、隔世の感があります! 造船所がなくなってしまったことのデメリットももちろんありますが、良い点は良い点で喜びたいところ。

遠くに房総をのぞみつつ、入り口は狭く、奥に深い。三浦半島にはこの湾形が多いですが、たしかに天然の良港です。御林から切り出した材木は、どのあたりから海に出たんでしょうね。
ちなみに写真を撮っていたら、釣りをしていたお兄さんに「東叶神社の裏山は行った? 絶景だよ!」と話しかけられました。この写真の左手に写っている山ですね。「上ったことないです」と正直に答えましたが、実はこの裏山、三浦一族がかつて築いた浦賀城でもあります。なのでそのうち樽瀬川さんが行ってくれると思います……(三浦一族のことはなんでも樽瀬川さんにぶん投げるスタイル)。

左手に山、右手に海を見ながら海沿いを歩きます。ちなみに写真を撮り撮り早足で歩いていたら、お散歩をしていたご老人に「歩くの早いですねえ」と言われました。個人的な体感なのですが、浦賀ってこういう雰囲気がありますよね。気軽に話しかけてくれて、親切。横須賀の中のほかのまちとちょっと違う感じがするのは、昔から港町だったせいなのでしょうか。

今わたしは内陸部に住んでいるのですが、海から遠いとこういう車止めを見かけなくなります。なんとなく懐かしくなってパシャリ。これは船をもやっておくポールがモチーフですね。

免許の更新のときだけ来たことのある前浦賀警察署、そのうち建物もなくなってしまうだろうな……と思ったので写真に収めました。

物置から照明器具まで、おうちにかんするものを何でも売っていそうな若木屋さん。足を踏み入れたことはないのですが何屋さんかよくわからない雰囲気が好きで、車の窓からよく凝視していました。ご健在で何より。

ということで、浦賀駅に到着です。普通にバスに乗ってしまえばなんていうことはない久里浜〜浦賀間ですが、古い道を歩いてみるのもなかなかおもしろいものですね。一風変わったひと駅歩きはこれにておしまいです。お付き合いありがとうございました!