大矢部公園から森崎をながめる

横須賀市大矢部3丁目にある児童公園、大矢部公園に足を運びました。背景に迫る山は森崎です。すぐお隣にあった自衛隊の弾薬庫あとが横須賀市に譲渡されて公園になりそう、という話が現実的になってきたので、現状を確認したいなと思ったのでした。
大矢部弾庫跡地
大矢部公園は住宅地の中にある公園なので、駐車場はありません。このあたりにおいでの際は、京急「北久里浜」駅から北久里浜11・17系統のバスに乗り「風早」バス停で降りるか、北久里浜14・15もしくは久里浜14系統のバスに乗り「佐原橋」バス停で降ります。「佐原橋」バス停は場所がふたつあるので、詳しくは歩いたルートの地図でご確認ください。

昔は高い塀に阻まれて見えなかった弾薬庫跡地、現在でも入ることはできないもののだいぶすっきりと見通しがよくなっていました。

この場所には近世まで円通寺というお寺があったと伝えられています。また、三浦一族と関係があるという「深谷やぐら群」も残されています。横須賀市が公表している資料のまとめがおもしろかったのでぜひご覧ください。三浦一族にまつわるお散歩コースは「ぷらり三浦一族めぐり」も併せてどうぞ。
谷戸を形成する山には入り口と出口がある
さて、大矢部の弾薬庫は谷戸の地形を利用して作られていました。

谷戸に食い込むように並んでいる四角い建物が旧海軍時代の弾薬庫です。写真下の田んぼが大矢部1・2・3・5丁目あたり、上の山が森崎です。戦後大規模に高台を住宅地として開発するようになる前、市民の生活の場はおもに平地や谷戸でした。
もちろん山も利用していたでしょうが、今のわたしたちとはだいぶ付き合い方が違ったのではないかと思います。少なくとも、山の上に大きな道は見当たりません。

山を開発して作られた住宅地には大きな入り口と出口ができる。開発以前にはなかったものです。一方で、山の上の住宅地には自動車が通れないような狭い道や階段などもあります。そういった、歩いてみないとわからない小さな入り口と出口を探してみると、三浦半島の暮らしや文化について現代とは違う見方ができるんじゃないかな、と思いました。
今回歩いたルート
前置きが長くなりましたが、今回は大矢部公園から出発して、以下のような道を歩きました。
- 自動車が通れない細い道もしくは階段
- 森崎の山から外の町に出ていける道
小さな入り口と出口①佐原から森崎小学校へ

地図中の小さな赤いラインをたどります。大矢部公園からは「風早」バス停のほうに戻る道沿いにある曲がり角を左折します。曲がり角の写真を撮りわすれてしまったのですが、とても細い道なので見落とさないでくださいね。

少し坂道を歩くと階段になります。

ずんずん

ずんずん

ずんずん。くねくねとした階段を上りつづけると、森崎小学校の裏手に出ます。

春は桜がきれいなフェンス沿いに児童によるイラストが施されていました。


佐原・岩戸・大矢部が一望できます。ちなみにこの階段、昔は「マムシに注意」の看板が出ていました。現在では見当たらなくなっていました。出なくなったならそれはそれで良かった。
さて、この無理やり作ったように見える階段ですが、森崎の住宅地ができる前はどうなっていたのでしょうか。現在の地図の下に1946年の空中写真を置いてみましょう。


右下からカーブし、山沿いに延びている道が現在の北久里浜へ向かうバス通り。そしてその道から山に這いのぼるようにして山肌が露出している斜面があります。ここが今上った階段のある場所です。細部まではわかりませんが、もともとから利用されていた斜面だった感じがしますね。森崎小学校がある場所も一部は開けているように見えます。山の上にある住宅街の小さい出入り口は、古い生活の痕跡を残しているのかもしれません。
小さな入り口と出口②鵯越を彷彿とさせる大矢部1丁目の谷戸
続いて別の小さい出入り口に行ってみましょう。大きい出入り口こと森崎のバス道路を歩き、横須賀グリーンヒルあたりまで移動します。



一見するとグリーンヒルの敷地内のようですが、れっきとした道です。のぞいてみると……

安定の(?)高低差があります。

下りきった場所から見てみたところ。ここはもうすでに大矢部1丁目です。先ほどと同じように1946年の空中写真を見てみましょう。

地図と空中写真でひずみ方が少しずつ違うのでぴったりは重ならないのですが、現在の階段はもともとあった谷戸に作られていることがわかります。谷戸の道は山の上まで延びていて、現在の市営住宅があるあたりには段々畑も見えます。

谷戸の風景はもうありませんが、往時をなんとなく彷彿とさせるような斜面は残っています。子どものころ、わたしはこの斜面で段ボールそり滑りをしてズボンのおしりを破いたことがあるのですが(誇張ではなくほんとにべりっと破きました)、現在はそり滑りなんて夢のまた夢という草ぼうぼう具合、むしろ子どもの背丈くらいありそうな潅木も生えていました。

これは住宅をつくろうとしたのでしょうか。擁壁だけがぽつんと放置されていました。

手前の新しい擁壁はグリーンヒルの敷地です。グリーンヒルがある山自体は三浦義村(目下大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で大活躍中)が祭神となっている近殿神社の裏山で、この先も険しい絶壁が続きます。近殿神社をはじめ、大矢部1丁目には三浦一族の史跡がたくさん。ぜひついでに歩いてみてください。

鎌倉幕府成立前後の源平合戦にはさまざまな伝説的逸話が残されていますが、そのうちのひとつに一の谷の合戦の逆落としがあります。がけを馬で駆け降りて奇襲をかけたという、正攻法ではない戦い方です。ここで大活躍したのが三浦大介義明の息子で佐原十郎義連という人物……という、これも三浦一族につながるお話なのですが、十郎は「三浦はもっと急な坂をいつも駆けおりている」と言ったとか言わないとか。こういう谷戸のことをいったのかもしれませんね。

近いうちに樽瀬川さんが佐原十郎の居城、佐原城に行ってくれるそうです。楽しみです。

小さな入り口と出口③トンネルの上を歩く

さて、階段をもう一度上り、大矢部中学校のほうに進みます。大矢部中学校の坂の下にある森崎5丁目公園の中に入りましょう。見たところ普通の児童公園なのですが、奥まで進むとなにやら小さな出入り口っぽいものが。

森崎5丁目公園は小矢部隧道に隣接していまして、この道はトンネルの真上を歩ける場所になっているんです。


このあたりは以前市立横須賀高校があった場所で、当時はグラウンド脇を通る小さな未舗装道路でした。ここも先ほどの空中写真で見てみましょう。


この場所もひずみ具合が異なっているのできれいに重ならないのですが、谷底に道のようなものが見えます。古くから使われていた道のようです。

少し進むと階段が見えてきました。

夕日に照らされている下の家並みは小矢部です。


小矢部に降り立ちました。これが、昔の道……。
ちなみに下りた道を向かって左に曲がるとカフェテリアTODAYがあります。「井戸店」バス停もすぐそばです。
TODAYとは逆方向、右に向かうとまた森崎に戻ります。現代人にとってはなかなかの坂道。


坂道を垂直に断ち切るようにして階段が伸びています。これは坂道から下りるほうで……

坂道の上にもまたたっぷりと階段が。この階段も一番下は小矢部に行き着きます。

この階段だけは造成してからの道らしく、空中写真ではただの山のように見えます。
ほかの出入り口も集めてみた

赤が今回ご紹介した小さな出入り口(一ヶ所、一番左下の道だけ抜けてしまいました。すみません)。水色が自動車で通れる小さめな出入り口。からし色は小さな出入り口なんだけど、下りた先も森崎の町内なので今回ご紹介しなかった道です。

地図で見てみると今と昔だと山や谷戸と生活のかかわり方がすっかり変わってしまったんだなあと改めて認識しました。
最後に海の見える場所へ

最後に森崎4丁目にある海が見えるポイントにやってきました。うっすらと中央奥に海。森崎町内の公道で海が見えるのはここだけじゃないかなと思います。

この坂を下っていくと五郎橋の近くに出られます。平作川沿いに歩いて「北久里浜」駅方面へ移動するのもおすすめ。
今回はちょっと疲れていたので、坂を上って「森崎市営住宅前」バス停へ、そして「北久里浜」駅へと戻りました。