「金沢八景」の景色を探す旅、後半戦に突入です!
今回のお散歩コース
前回、金沢文庫から手子神社前の「小泉夜雨(こいずみの やう)」から、称名寺前を通過し、平潟湾沿いに「称名晩鐘(しょうみょうの ばんしょう)」「瀬戸秋月(せとの しゅうげつ)」「洲崎晴嵐(すざきの せいらん)」の風景を探しました。
今回はさらに平潟湾を回り、「乙舳帰帆(おっともの きはん)」「野島夕照(のじまの せきしょう)」「平潟落雁(ひらがたの らくがん)」「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」の風景を探します。
乙舳帰帆
前回の洲崎公園から真っすぐ海岸線を進むと、大きな橋「帰帆(きはん)橋」が見えてきます。この橋の名前は金沢八景の「乙舳帰帆」から取られました。
横浜市金沢区にある「野島(のじま)」は元々は砂洲で陸続きとなっていた土地ですが、現在は橋で繋がった島となっています。その野島の北側の地名が「乙舳(おっとも)」です。
金沢八景の乙舳帰帆は、港へ船が帰って行く様子を描いたものです。

現在、乙舳橋の上からはこんな風景が見えます。

ダイナミックに伸びるシーサイドライン!! これ、もうちょっと待ってシーサイドラインが金沢八景駅に向かう様子を映せたら、まさに「乙舳帰帆」ならぬ「乙舳帰電」になったんじゃないでしょうか。今気づきました。もっと早く気づいていれば……。
ちなみに夜になるとレールもライトアップされて更に美しい風景になるそうで、三浦半島の隠れた絶景スポットです。
野島夕照
帰帆橋から海沿いをまっすぐ行くと、また大きな橋があります。そこが「野島夕照」をモチーフとした夕照橋です。

夕照橋は「かながわの橋100選」にも選ばれていて、灯明台を模したデザインは「橋のデザイン賞」も受賞しています。

平潟落雁
夕照橋を渡って右へ行き……。

歩道橋のある交差点を右へ少し入ります。

かかる橋は「平潟橋」。おそらくこの場所が『平潟落雁』のモチーフです。

落雁とは、秋になって雁の群れが舞い降りて来る様子をさす言葉で、秋の季語になっています。この記事を書いているのは3月。秋まで半年もある上に、ちょうどよく雁が平潟湾に降りて来るのを辛抱強く待つ……。想像するだけでくじけてしまいそう。カルガモはよくいるんですけどね……。
というわけで、春の平潟湾です。

画面右のこんもりした山は野島ですが、なんだか広重の絵の場所っぽくないですか!?
内川暮雪
さて、歩道橋を渡り、関東学院の前を通り過ぎて川沿いをまっすぐ行った突き当りが「内川橋」。金沢八景最後の1つ『内川暮雪』の舞台です。

う~ん、広重さん本当に金沢に来て描いたんですかね……。というのは、三浦半島にお住いの方はよくご存じだと思いますが、雪こんなに積もることめったにないんですよね。
「横浜が大雪でもうちの方はただの雨だよ!」みたいなことがよくあるんですよ。雪降ってくれればいいのに、ただ寒いだけですよ! ……というのは置いといて。
先ほども述べた通りこの記事を書いているのは3月。ようやく寒さが和らぎ春になった時期です。そしてこの冬、雪はついに降りませんでした……。

山里が見える『内川暮雪』の風景も、いまや工場とスポーツジムと中学校で山が隠れてしまっています。
ちょっと残念な風景ですが、これもまた時代の移り変わりですね。
プラスのぷらり
帰りは北へ真っすぐ行くと金沢八景駅、南に行くと追浜駅です。周辺には鎌倉時代の史跡が点在しています。
関東学院の小学校校舎は、源頼朝の弟である源範頼(みなものとの のりより)の別荘跡です。
金沢八景駅に向かう途中、歩道橋を左に曲がって、鎌倉に向かう道は「大道(だいどう)」といって、鎌倉時代の幹線道路でした。道沿いには源頼朝が開いた浄願寺(じょうがんじ)跡とされる遺跡や、上総広常(かずさ ひろつね)の墓所があります。
大道からは、金沢文庫駅に続く「白山道(はくさんどう)」もあり、鎌倉時代の人気武士である畠山重忠(はたけやま しげただ)ゆかりの史跡もあります。