いよいよクライマックスに向かう、令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。三浦義村(みうら よしむら)の弟、三浦胤義(みうら たねよし)も登場しました。
三浦胤義は承久の乱で兄と袂を分かち、朝廷方で戦いました。実はもう一人、朝廷方で戦った三浦義村の弟がいたのです。それが三戸十郎友澄(みと じゅうろう ともずみ)。
今回は三戸友澄が住んでいた、三浦市の三戸浜付近に行ってみました!
今回のお散歩コース
三戸海岸には一応バス停はありますが……平日に一日2本!! しかも帰りのバスはなし! という感じなので、素直に歩くか、三崎口駅のレンタサイクルをオススメします。
三崎口駅を出て、横断歩道を渡り右に少し行ったところにある曲がり角を曲がりましょう。

くねくね道なりに行くと……一面の畑と、その向こうの海!! という三浦っぽい風景が広がります。

農道をくねくね行った突き当りを左へ行くと、海沿いに出ます。

その海辺が「三戸浜」です
三戸浜

以前は釣りやキャンプ客でにぎわっていました。しかし現在は禁止されていて、駐車場も閉鎖していて、とても静かです。空気が澄んでいて天気が良い日だと、富士山も見えるそうです。
三戸浜では「オショロ流し」という国指定重要無形民俗文化財にもなっている伝統行事が、毎年8月16日の早朝に行われます。お盆にやってきた先祖の霊を送るために、藁で大きな船を作って流す行事です。

海沿いの道には、児童公園や神社があります。このあたりは古墳があり、古代から人が住んでいました
三戸友澄主従墓
しばらく海沿いを行き、途中で角を曲がります。周辺には何も目印がないので、ちょっとわかりづらいですが、「宝徳寺(ほうとくじ)」に向かう道です。

宝徳寺は、室町時代の火災で古い記録が焼失してしまいました。近くに三戸友澄の墓があるので、もしかしたら元々は三戸友澄ゆかりの寺だった可能性もあるかも……。

宝徳寺を通り過ぎた突き当りが、三戸友澄の墓への入り口です!!

円柱には道案内が……!


脇にある小路を登って行きます。思いっきり民家の裏側なので、ちょっとドキドキしますね。

意外と整備はされているっぽい階段を登ると……。

広場が!!

奥には目当ての三戸友澄主従墓が!
三戸友澄について
三戸友澄は、三浦義澄の10男。三浦義村・胤義の異母弟にあたります。この三戸で伊豆半島との海運業を営んでいました。
承久の乱の時、胤義は義村の他の兄弟にも手紙を送ります。そして友澄は胤義の呼びかけに応じ、内田次郎・庄司三郎・海戸五郎という3人の郎党と一緒に京都へ向かい、戦いました。
しかし勢多の戦いで討死してしまい、その首は3人の家人によって、故郷へと帰ってきました。
ちなみにこの3人の家人は友澄の前にこの地を治めていたそうで、3戸で1つの所領を分けて治めていたので三戸と呼ばれていたそうです。
ぷらすのぷらり
とまぁ、三戸友澄の史跡はここまでですが、ついでなので三戸の名所「黒崎の鼻」を目指してみました。歩きだったら三戸海岸から磯伝いにも行けますよ!
まず海沿いに出てずんどこ北上します。道なりに坂を登ると、広々とした畑があります。

この畑越えて、再び坂を下ったところに、お寺があったり、カインズがあったりしますが、その道を奥へと進むと……。

穏やかな入り江と並ぶ可愛いおうち。さらに奥へと進むと……。

車両行き止まりの柵を越えて猫の尻を追いかけます。

この更に奥に、首都圏の秘境「黒崎の鼻」があります。今回はちょっと行った時間が遅かったのでここまでですが、この鬱蒼と生い茂る道の先に、時間を忘れる絶景がありますよ!
私が行った時も、この小路の入り口に自転車があって、先客がいるようでした。



せっかくなので、ぷらからライターのTakechingさんが1年ほど前に撮った写真をご紹介します。海に突き出た岬=鼻の上や周辺の砂浜をぶらぶらと散策できる絶景スポット。ぜひ足を運んでみてください。(編集部)