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【逸見】伝染病と横須賀、坂本病院の跡地へ向かう。

きっかけは突然…

どうみき坂を上りきるとそこは富士見町である。

富士見町の新世館浴場と居酒屋みおちゃんのあった通りには、一本の大きな桜の木が立っていた。

幹のしっかりとした大きく立派な桜の木の蔭には自動販売機があり、私はよくそこで飲み物を買ったものだった。

桜の木も自動販売機も今ではもう無くなった。

当時の唯一の名残である桜の切り株を見ていると、ずいぶんと高齢のおばあさんに話しかけられた。

「なにしてるの?元気!?」

声の大きな人だった。

一方的に自分の話したいことを喋り続ける人でマシンガンのように会話が尽きなかった。

孫の進路の話、主に自慢話が多かったのだが、やがて横須賀の話になり、

その中に私の興味を引く話題があった。

「子供の頃に、京急安浦の駅前に病院があって、洋風の…佐野医院と言ったんだけど、あたしはそこに何度か通院したのよ」

餅つきウサギのステンドグラスがあった佐野医院の話になったので

「知ってます!印象的な建物だったので。今ではああいう古い医院も減りましたね」

と聞くと、おばあさんは私の言葉にはあまり耳を貸さず、ひたすら自分の記憶にある思い出を言葉にし始めた。

「昔はさ、ああいうちょっと怖い感じの病院が多かったね。あたしがさ、ここへ住む前はさ、按針塚に向かう道かな、逸見と吉倉ってあるじゃない?あそこの…山の上に…私の家があったのよ、わたし逸見小学校の出身だからさ。もうずいぶん前にさ、なるけどさ、逸見から少し歩いた坂本町の山林にさ、病院があったのよ。そこって感染症病棟だったからさ、近づきがたい雰囲気だったの」

「その病院は何て呼ばれていたんです?」

「坂本病院っていうの!」

横須賀市内で流行した伝染病(年表)

という訳で図書館へやってきた。伝染病流行の歴史を知るために横須賀市史を見てみることにした。

横須賀市 編『横須賀市史 : 市制施行八〇周年記念』下巻, 横須賀市, 1988.12

1892年、天然痘が流行

1895年、県下にコレラが流行

1916年5月8日、腸チフス、赤痢、コレラ流行

1919年2月、スペイン風邪流行。

1946年コレラ発生患者21名。(浦賀に入港した引揚船内でコレラ多発)

1952年12月、性病患者が市内で6929名となる。

1956年12月、市内の10病院の結核ベッドが1438床になる。

1980年10月、野比川でコレラ検出。

1984年10月、市立坂本病院を廃止して伝染病ベッドを市民病院へ併設。

・・・

2019年12月、コロナウイルス流行。

2020年3月、横須賀市内でコロナウイルス感染者が出る。

参照:横須賀市 編『横須賀市史 : 市制施行八〇周年記念』別巻,横須賀市,1988.12, pp.138-148 / 横須賀市市長室広報課 編 『古老が語るふるさとの歴史 中央編』横須賀市, 1971, pp.149-150.

これらの年表は横須賀市史等に載っている年表から、伝染病に関するものだけを抜き出し、それらに簡単な補足を加えただけの単純なものに過ぎないのだが、それでもここ100年という短い歴史の中に、人々の暮らしに必然的に結びついている伝染病のすがたがほんのわずかに見えてくる。

横須賀市史より抜粋。(横須賀市 編『横須賀市史 : 市制施行八〇周年記念』上巻,横須賀市,1988.12, p.642)

横須賀市内に存在した戦前の病院名が載っている興味深いページを発見した。

横須賀海軍病院、海軍病院野比病院、横須賀陸軍病院、横須賀海軍共済組合病院、長浦分院、野比分院、衣笠分院、追浜分院、海仁会病院…これらの病院は海軍関係者やその家族のための病院であったらしい。(ヨゼフ病院って元々は海軍下士兵の家族のための病院(横須賀海仁会病院)だったらしい…)

一般市民対象の病院は、浦賀船渠病院、市立横須賀病院、市立坂本病院の三施設だったようだ。

浦賀船渠病院は浦賀ドックの従業者と家族が中心であるが一般市民の利用も認められていたようだ。市立横須賀病院は一般市民が利用できる病院、市立坂本病院は伝染病患者の治療を行うための病院ということが書かれていた。

坂本病院とは


明治後期、赤痢や腸チフスなどの伝染病が流行。 明治三十九年に坂本町の山を切り崩して、町立横須賀病院を建築する。翌年、名称を市立横須賀病院と改める。

大正後期、県臨時救療院が旧海軍病院敷地に開院する。場所は深田台の文化会館の前あたり。

救療院が市立横須賀病院となったため、坂本のほうは市立横須賀博愛病院と名を改める。

昭和十年二月、博愛病院は市立坂本病院と名称を変更し、それ以降は坂本病院として知られるようになる。

散歩開始

長い前置きとなってしまったが、今回は逸見駅から出発して坂本病院の跡地へ行ってみたい。

それは跡地を見ることでそこにあった坂本病院を少しでも想像できるかもしれないと思ったからである。意味が有るか無いかで考えたら無いかもしれない。

今回も逸見駅から出発。
逸見を降りたら京急の高架下を潜り、坂本方面へ向かう。祭りの日は盛大に賑わう逸見の町も普段は静かに落ち着いている。

アスファルトのざらつきを見ながら下を向いて真っすぐ進んでいく。

休息用の椅子がこの道にも設置されていた。

東逸見にはひそかに川が流れている。川は沢山小方面へと続いている。

ここで坂が見えてくる。横須賀は立体的な地形。

坂を上るとやがてトンネルが見えてくる(写真ではぎりぎり見えていない)

天気が良ければ一枚の切手になりそうな風景である。

相変わらず地形が面白い。前と後ろだけでなく上下のある空間がとてもいい。

生垣とトタン塀に挟まれた狭い路地を進んでいく。道がゆるやかに曲がっている。

平屋の煙突。

細い道を通ってきた。生垣だと思っていたものは古い家屋だった。草に覆われて生垣に見えたようだ。

異なるタイプのホウキが掛けてあった。

水色フェンスの設けられた階段を上る

もはや当たり前となってしまった横須賀の長い階段を上る。上る。上っていく。

日暮れ時の逸見の街。

階段を上りきると坂道へと合流した。

再び振り返る。山の斜面の非常に高いところまで家々が連なっている。

午後の陽を浴びた向うに見える建物は坂本コミュニティセンターだろうか。

坂道を上りきると…

山頂付近に上りついたようだ。

坂本コミュニティセンターが見えてきた。
蝮(まむし)注意の黄色い看板が倒れていた。
坂本コミュニティーセンターに到着した。

裏側へ。

到着。ここが坂本病院の跡地…

ただ広く、すっぽりと隔絶されたような空間。

風が顔にまとわりつくようなそんな印象を覚える。

ざぁざぁと音を立てて草木がざわめいていて、その風景はどこか懐かしいものであった。

ここからは帰宅。先ほどとは別のルートで下っていく。

すでに日が沈みかけていた。枯れ葉の多い階段をあてどなく下りていく。

あまりに薄暗く、心細い気持ちになった。来る時間帯が遅すぎた。

選択する道を間違えたのかもしれないとそう思いながら、細い階段を降りる。妙なのはさっきからほとんど誰ともすれ違わない。坂道を上るまでにほんの数人とすれ違っただけ。

一人だけ世界に取り残されたような気になる。異界という言葉が横須賀は本当によく似合う。

自分の足音以外何も聞こえない下り階段。なぜかひんやりとしていて背中に寒さを感じた。

どうにか坂本トンネルの坑門の前に戻ってくることができた。

散策を終えて…

元いたトンネルのある坂まで戻ってくるとまだそこまで日が沈みかけていないことに驚いた。

先ほどの道だけが異様に暗かったのか、逢魔おうまが時の手前の時間に何かが太陽を隠していたのか、はたまた別の物の怪の悪戯だったのか。だとすれば、すんでのところでつかまらずに帰ってこれたのか。

坂本病院の跡地を見てみた感想は、侘しい風景だった。

そしてあの閉じた空間には荒涼とした空気が残っていた。

一度も来たことが無い場所に懐かしさと寂しさを思い起こさせたのは一体何の仕業だったんだろう?

(この散策は2021年~2022年に行われたものです)

今回のお散歩ルート

(編集部より)今回は細い道や私道と推定される箇所も含まれているので、記事内に登場したスポットのみご紹介する地図となります。

伝染病と横須賀、坂本病院の跡地へ向かう。 - Google My Maps
(2026年6月3日公開)
うしがみ
うしがみ


横須賀出身の20代。横須賀の独特な地形や路地に惹かれて、歩いているうちに10年の歳月が流れていました。最近の口癖は「あの建物の築年数が知りたい」です。

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