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【京急久里浜】12年に1度の御開帳! 三浦三十八地蔵尊御開帳レポ タイムアタック2日目

前回、衣笠~久里浜エリアを攻めたので、今回は浦賀エリアに行ってきました。はたして1日にどこまで回れるのか!!

今回のお散歩コース

三浦三十八地蔵尊御開帳 2日目 - Google My Maps

京急久里浜からバスに乗り、西浦賀の常福寺(じょうふくじ)、東福寺(とうふくじ)を回ります。そして浦賀の渡しに乗って東浦賀の東林寺(とうりんじ)、鴨居の能満寺(のうまんじ)、西徳寺(せいとくじ)。

観音崎で乗り継いで走水の大泉寺(だいせんじ)、馬堀の浄林寺(じょうりんじ)、大津の貞昌寺(ていしょうじ)、信楽寺(しんぎょうじ)と、横須賀の東海岸沿いをぐるりと回るコースです。絶景も期待できる!

34番 放光山常福寺

10時頃……。京急久里浜駅から浦賀行きのバス(久10・19系統)に乗り、約15分。紺屋町(こんやちょう)バス停で下車。後方の「浦賀交番前交差点」に戻ります。

ちなみに、バス停の近くにある西叶神社は、鎌倉時代の怪僧・文覚(もんがく)ゆかりの地です。

ゼラニウムの真っ赤な花が初夏っぽい!!
浦賀交番前交差点を右に

和菓子屋さんを左に曲がると

常福寺の入り口です。

ちょっと急な階段を登った先が本堂で、2体の地蔵菩薩像があります。

室町時代の文明年間(1469~1486)に創建のお寺です。江戸時代に浦賀に奉行所が置かれると、新任の奉行はかならずここにお参りする「御用寺院」となっていました。

33番 延命山 東福寺

常福寺を出た後、道路の向かいの小道に入ります。

突き当りに急な階段が見えて一瞬、嫌な予感がしますが……安心してください! 右に曲がります!

上るのはこっちの階段です!!

こちらもかなり急な階段ですが、頑張って上った先は可愛いワンコたちがお出迎えしてくれますよ!

モフモフに夢中になってベストショットを逃す樽瀬川

東福寺も室町時代、明応9(1500)年に創建されたお寺です。元々は真言宗のお寺ですが、戦国時代になった天正18(1590)年に徳川家康が江戸にやって来て、三浦半島は徳川家の直轄地となりました。その時に、代官の長谷川長綱によって曹洞宗に宗派を変更しました。

こちらもまた、浦賀の奉行が参拝に訪れる御用寺院でした。

35番-浦賀山 東林寺

浦賀の渡し船にのって、東浦賀へ渡ります。ここら辺で11時ぐらいでしょうか。

渡し船を降りて真っすぐ行くと……
すぐ頭上に東林寺の看板が!!

東林寺の縁起では室町時代の大永3(1523年)の創建とされていますが、『新編相模国風土記稿』では「元々2つあった寺を大永3年に1つにしたのが東林寺である」と書かれています。

寺宝の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』は鎌倉時代の作なので、元々のお寺は三浦一族とも繋がりがあったのかも!?

31番 鴨居山 能満寺

大通りに出て、新町バス停からバス(浦2・3・須26系統)に乗り、脇方バス停で下車します。この時点で11時45分ごろ。そろそろお腹も空いてきますが、周りには何もないのでもう少し辛抱してください。

脇方バス停の少し後方の路地に入ります。ご開帳期間は赤い旗が立っていたので分かりやすかったです。

道なりに坂を登って行くと、なんだかとても三浦っぽい急な階段が見えてきますが、安心してください! まっすぐ進みます!

登るのは、こっちの階段です!!

またこのパターンかい!

いやぁ、結構な難所にありましたね……。足腰の鍛えられっぷりは、衣笠山の大善寺といい勝負だと思います。

でもその甲斐あって、境内から鴨居の町を見下ろすのはちょっとした絶景でした!

能満寺は室町時代、明応6(1497)年の創建と言われています。こちらも徳川家康が江戸に来て、三浦が徳川家康の直轄地になった時、代官の長谷川長綱が曹洞宗に宗派を変更し、現在の能満寺となりました。

今回ご開帳された虚空蔵菩薩は真っ赤な服が印象的な金色の像で、この寺のご本尊でもあります。造られた年代も判明していて、室町時代初期の応永6(1399)年です。

寺よりも古い立派なこの像、元々はどこにあったものなのでしょうか……。

32番 東光山 西徳寺

能満寺から大通りに戻り、海沿いを進むと西徳寺です。詳細は過去記事にもあります。

【浦賀】多々良氏の里、鴨居~名馬池月の伝説
三浦大介義明にはたくさんの息子がいました。そのうちのひとりは多々良氏を名乗り、現在の横須賀市鴨居周辺に居を構えます。海賊退治の伝説もある多々良氏にまつわるスポットを訪ねましょう。バス移動も入れて、最後は名馬池月伝承もチェック。

ご開帳されているのは、記事にも紹介している和田地蔵! 少しおめかしされていました。

30番 走水山 大泉寺

鴨居バス停からバス(須(馬)24系統)に乗り、観音崎バス停で乗り換えます。バス停の近くには食堂があるので、ここでようやくお昼休憩です。

13時50分頃。再び横須賀方面行きのバス(須(馬)24系統)に乗って、走水神社バス停で下車します。

走水神社バス停

バス停の名前にもなっている走水神社は、古事記にも書かれているヤマトタケルとオトタチバナヒメの伝説のある神社ですが……今回の目的地は、その隣にある大泉寺!

走水神社の右隣
大泉寺の入り口

大泉寺も、徳川家康の代官長谷川長綱が復興した寺です。それ以前の記録はよくわかっていません。しかしここまで名前がそこかしこに出てくると、だんだん親近感が湧いてきましたよ、長谷川さん。

どうやら長谷川さんは徳川家康から「三浦の荒廃した寺社を復興せよ」という命令を受けていたようです。令和5年大河ドラマ『どうする家康』には登場……しなさそうな気もしますが、でもモブっぽくいてくれたらいいなぁ。

ちなみに大泉寺は幕末に黒船がやってきた際に、警備などのために派遣された幕府の侍たちが寝泊まりした場所でもあるそうです。

走水をお散歩

次はサクッとバスで馬堀中学まで行く予定ですが、天気が良ければその前に少し歩いてみましょう。

カーブのところにある旗山崎公園はまさにオトタチバナヒメ伝説の場所。地元には古事記とはちょっと違う伝承があります。

ヤマトタケルは船で房総半島へ向かうためにここに仮の御所を建てて旗を立てました。これが旗山崎の由来です。ヤマトタケルは旗山崎から出発しましたが途中で嵐に遭います。ヤマトタケルの妻であるオトタチバナヒメは荒れ狂う海を鎮めるために、旗山崎の先端から侍女たちと海にその身を捧げました。

江戸時代になり、三浦が徳川家康の直轄地になった時、船が得意な向井一族に命じ、ここに海の関所を作りました。

また、幕末には外国船が攻めてきた時のために大砲を置き、明治時代にも陸軍によって砲台が配備されました。明治の砲台跡が公園内に今でも残っています。

横須賀市観光情報
横須賀の観光・イベント情報サイトです。季節の開花情報から旬のスポット、米軍基地や自衛隊施設の開放イベントまで、ヨコスカがめいっぱい詰まっています.

公園からもう少し先に行くと……

歩道専用の道へ

展望台があります。

破崎緑地展望デッキ

晴れた日ならば横須賀の東海岸なのに海越しに夕日が沈む富士山が見えるという、不思議絶景スポットなのですが、この日は雲が多く……。

29番 七重山 浄林寺

浄林寺は過去にも紹介しました、馬堀海岸の由来となった名馬「池月」を祭る馬頭観音があるお寺です。

【浦賀】多々良氏の里、鴨居~名馬池月の伝説
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旗山崎の近くには走水小学校バス停(須(馬)24系統がわかりやすいです)があるので、そこから馬堀中学バス停まで行き、浄林寺へGO! この時点で15時ぐらいになっているでしょう。

今回浄林寺で御開帳されていた地蔵尊は「厄除け」のご利益があるそうです。黄金の体に黒い服……。もともと黒い服なのか、経年で色彩が落ちたのかはわかりませんが、なんだか厄を吸い取ってくれた感じがしますね。

さて、目標はあと2つ。行けるか!?

28番 竹林山 貞昌寺

馬堀中学バス停からバス(堀23、須22 / 24)に乗り、大津バス停で下車し、京急大津駅に向かいます。

左に行くと貞昌寺

ん? 光の感じが違うからまた別日撮りだろって? いやぁ、ほら、前回久里浜の伝福寺でタイムアップしたじゃないですか……それでタイムロスがあって……テヘペロ!

看板の通りに曲がり、線路を渡って真っ直ぐ
駐車場を右に

貞昌寺は室町時代の初期の初期、建武2(1335)年の創建で、鎌倉時代の執権北条氏とも親しかった南山士雲が開基と伝わっています。

その後、江戸時代になって、先ほど紹介した海の関所の向井一族がここにお堂を立てて貞昌寺としたと言われています。

27番 宮谷山 信楽寺

大津駅まで戻り、今度は大津駅手前の線路を渡ります。

まっすぐ行くと信楽寺
線路を渡ってまっすぐ

線路を渡って左手に注目。坂本龍馬とおりょうさんのイラストがありますね! 坂本龍馬が暗殺された後、龍馬の妻であるおりょうさんは再婚して、大津の地に住んでいました。これから行く信楽寺にはおりょうさんのお墓もあります。

……再婚後に暮らした土地なのに、坂本龍馬とセットでアピールして良いんでしょうか。新しい旦那さんはよっぽど懐が深い人なのでしょう……。

ここを左
左の細い道へ
突き当たりを左へ
信楽寺の入り口

信楽寺の開山は、室町時代の永正元(1504)年と伝わっていますが、ご本尊の阿弥陀如来は運慶作と言われています。

また阿弥陀如来のそばにある聖観音菩薩像は、鎌倉御家人の熊谷直実のゆかりとも言われていますので、前身となった古いお寺があるのかもしれません。

さて、これで三分の一は達成しました。果たして期限までに全て回れるのか! 次回こそは予定通りに回れるのか、乞うご期待!!

<meta charset="utf-8">樽瀬川 真人
樽瀬川 真人

三浦半島の付け根で生まれ育ち、地元の歴史を調べていたらいつのまにか鎌倉時代の三浦の海の底にいた。 

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